2011年5月9日月曜日

運 命

このように、多くの人の運命を歴史づけた母もまた自分の人生を運命づけられたひとりなのです。
母は決してブラジル行きを好んで移住したわけではありません。
私の外国行きへの憧れを満たしたい気持ちと、私の将来を父方に託したい気持ちとがあったようです。それ以外にも安さんが仲田家にお嫁に行くことになり、漢那家に苗さん家族を入れて安心させたいとの思いがあったようです。私達親子三人が国吉家に住むようになってほどほどにも気苦しい思いをするとは考えてもみなかったようです。長年自由に育った私達にとって一緒に暮らすことはお互いに不幸になるようで、2年で別れて独立して生活するようになった。2年間の生活で人間関係の難しさ、嫉妬心、見栄が人間関係をより難しくしているようで、精神的苦労や悩みが私という青年を大人にしたようです。沖縄の学生時代が懐かしく、時間があると本を読み何とか忘れることが出来た。
ついに独立して祖父の土地を耕作してコーヒーを育てる代わりにトーモロコシや小豆を作り、私たちの収入となった。少しずつお金が入りその中から前漢那小家の改築にお金を送った事もあった。日系人の中で私達が最も貧しく在りましたが、前途は明るく母が元気で豚も飼い、また野菜も作り、家の前にはコスモスの花を咲かせ、二世から見れば変わった風景のようでした。

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