2011年5月8日日曜日

戦後派

先月、ロンドリーナの農業技師間島さんの叙勲及び本年度皇室歌会始の入選祝賀式に出席して、多くの方々の祝辞や賞賛、激励の言葉のなかで彼の履歴を知ることが出来ました。彼は戦後移住者で、日本の農業技師としての経験を生かし、北パラナに果樹栽培を指導なされ、パラナ州政府及び日本政府からその功績を認められての叙勲でした。これまで日本政府から叙勲された方々はすべて戦前移住者なので、間島さんでかしたぞ、と叫びたくなりました。私自身が戦後派に属し、年齢的にもまた移住時期も似ておるからです。
50年前までは戦後派と戦前派の間には違和感がありまして、一種の溝ができ、新聞などでも問題として取り上げていました。戦前派は古臭い日本のシキタリをそのまま残しており、おまけに勝ち組、負け組とコロニアが別れている時代ですから、戦後民主主義の洗礼を受けてきた戦後派には受け入れられない点があったのです。そのうえ戦前派は苦しかった移住者の体験を自慢のごとく語り、戦後移住者は我々のお蔭で苦労することなく生活の基盤を築くことが出来るのだと言われました。特に沖縄の戦後移住者はすべてが第二次大戦をまともに身に受け、誰もが家族を失った経験をしていますので、当地は平和でよかったではないかと言いたかった。しかし当時世話になる身では何も言えなく黙っていた。
そんなことも古いこととなり、現在では戦後派という言葉さえ耳にすることはありません。
今日、日本人コロニアの役員を務めておられる方々に多くの戦後移住者がおられます。青年の頃に移住なされた方はもう六十代を過ぎ、仕事の第一線から退いており、社会奉仕のつもりで活躍なされておられます。小さい頃に来られた方は二世同様ブラジルの社会に溶け込み、日本の文化さえ薄れておるようです。
間島さんは日本で得た技術を生かすと共に、日本の文化をも生かして短歌にいそしみ、今年の歌会始に見事入選なされ、天皇皇后両陛下からお言葉を賜り、ブラジル日系初めての出来事のように思われます。その入選作、

幸せが一歩の先にあるごとく駿馬生き生きと耕していく

この歌を読んだ時、50年以上も農業を続けている私には、耕して種を蒔き作物の実る姿が生き生きと浮かびました。また、幸せを求めて古里を後にした多くの移住者が、一生懸命耕し、自分の子孫の種を蒔き、見事に実り、今日の日系社会が出来ていることもこの歌から読み取れるようにあります。
     私自身はブラジルで生活するにはブラジルに溶け込むのが大事とばかりに、日本の文化を軽んじておりました。外国人に土地所有権が認められない時期がありまして、そのときにブラジルに帰化して日本国籍を無くしブラジル人になっておりますけど、年とともに日本の文化が恋しく、いかにブラジルに通じポルトガル語がよく話せても、日本人は日本人なのです。
     もっともっと日本の文化を知り、子や孫達に伝えねばと思うこの頃です。
2004年3月20日

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