2011年5月9日月曜日

二つの結婚式

今月従兄弟の娘二人の結婚式に参加した。多くの日系人の出席のもとに教会で厳かに行われた。花嫁がその父親に伴われて教会の中道に入場する。花嫁は笑顔で来客に挨拶し幸せの絶頂にいることを語っていた。瞬間、楽団による厳かな宗教音楽が流れ、まさに神様の使者が神父に下り、神のお言葉を言い伝えるような感じが致しました。神父は新郎新婦に、喜びにあるとき、悲しみにあるとき、健康なとき、それに病気のときも愛し合い別れぬことを神に誓いますかと問われ、ふたりともはいと答え、ここに夫婦であることを宣言して披露宴へと向かった。ご両家の父親のポルトガル語での挨拶があり、乾杯して招待者からの祝福を受け二家族との別れの挨拶を交わし、独立したひとつの家庭が生まれたのである。真夜中までダンスは続いた。
1950年頃は全部日本式で、媒酌人を立て長い時間の媒酌人による新郎新婦二人の紹介があり、両家の挨拶があり、植民地中の男女がバラッカ(仮設小屋)を造り、ご馳走を作り、と若い男女にとっては楽しいことだった。遠いところに住んでいる男女には知り合う交際の場でもあった。実際多くの男女が知り合って結婚した。
以上がブラジルの結婚式で時代とともに移り変わった様式である。そこには日本の歌の文句、娘がお嫁に行く日が来なけりゃいいが、のような父親の持つ感情はありえない。
昔の日本の結婚式は家と家との結婚で、お嫁に行くとの表現どおりほとんどが新郎のもとへ嫁いだのです。夫婦の幸せより一家の繁栄が最大でした。新郎の家と新婦の家では習慣や味噌や漬物など伝統的に受け継がれたものがあり、そもそも新婦は新郎の慣わしを覚えるのに大変でした。ある沖縄の地方での古いシキタリに、花嫁が自分の家の井戸水を持ってゆき新郎の井戸水を汲み上げて混ぜて飲む慣わしがあったようです。水はいかなる水にも融合し調和した味を作りだす。花嫁も水のようにあって欲しいとの願いが込められているのでしょう。日本の花嫁衣裳にも角隠しとの言葉さえある。花嫁が角を出さずに丸く収まって欲しいとの願いが込められているためでしょう。

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