2017年2月20日月曜日

成熟した絆
僕は君と八重子のロマンスを小説に書く事を夢に描いていた。そのあらすじを君の金婚式に語るのを楽しみに
していた。突然家族だけで祝福した写真がFACE BOOKに載っていて、つい文章に書くことにした
家族だけの祝福でも、大げさな祝福でも、五十年の歩みに区切りをつけてまた踏み出すに変わりはない
僕と君は似た所が多い。まず少年から青年になるまで、同じ家で過ごしている、小学校や中学、高校も同じだ
暮らしもあまり変わらなかった同じく母の手で育てられた,娶った妻も同じく二世でインテリだ。
僕が運命によりブラジルへ渡った時から君の運命、八重子と出会う運命になったのだろう、
決定づけたのが僕の結婚写真だと思う、君一人家族と離れてしかも高校中退でブラジル移住なんて考えられない
あの結婚写真はあまり出来過ぎだと僕は思う、日常の生活が浮かばないし生活程度も想像できない、
きっと、金持ちで裕な暮らしが頭に浮かんだのだろう、
僕はあの頃借金を抱えて子沢山で大変でした、それでも松田家や仲田家や君を引き受けたのです、
あの頃の沖縄は生活が貧しくブラジルは食べ物はよかった。
君は僕がブラジルで学校にいかしてくれると予想していたのでないかと思う、なぜなら僕もそう思っていた。
着いて始めてきつい労働が待っていた、それでも二か年はアットの間に過ぎ、君が八重子と交際しているのを知ったのは
六月二十四日のSAOJAO祭りのブ-グレでした、その後僕はカメ子叔母へ行き君と八重子のなかを説明して
結ばれぬ愛ならば早い内に断ち切った方がお互い傷は少なくて済むと思った
叔母さんは理解ある人で、例え失恋におわっても長い人生では良い経験だと言われた。
その点について僕にも経験があった、僕の妻とは僕は始め断られていた、多分千代の父は僕が長男で母と一緒に暮らすことに
思案しての事だと思う、失恋の痛手に僕は多く本をよんだ自然と世界の中で女性に断られる事は小さな出来事に思われた。
千代にはもっと良い相手いるはずだ彼女の幸せを願うようになったのだ。その後、承諾の返事をうけた時は、天にも昇る思いだった
叔母さんの話聞いて心の安らぎをえた、早速君に街に出て何か職業を身に着けることを勧めた
早速、クリチバで写真業をみにつけ始た、その後も君と八重子は文通し合ってお互いの愛情を深めていった
その文通が田舎の家の戸棚と本立てから見つかった、二人の愛情が着実にすすんでいるこが判った
文の中に貴方の写真にキースして寝ますとあった、自分がしたように愛する人は皆同じと微笑ましくおもった。
その後隣街でも働き、サンパウロでも働きカンバラの街で開業して結婚した.
二人に子供が出来ないことに、八重子が沖縄留学することになった,安勝も一緒にいくことになった、
写真屋畳んでのことだった、幸いに八重子の人柄が兄貴夫婦の目に染められて、二男の優を養子に出すことを決定した
君と八重子の子育てが始まった、その後はクリチバに家をかまえて、多くの日系人と交友し合っている、
クリチバは学生都市で日系人のインテリ―があつまりよい環境にある、この物語は青い果物が成熟するまでを

君と八重子のロマンスを五十年の成熟した絆とした。国吉真一