2011年5月9日月曜日

帰 化 人

私は1970年代にブラジルの法律により外国人は土地を所有することが出来ず、帰化し、ブラジル人になっている。一生ブラジルで骨を埋める覚悟は出来ていてもためらいました。自分の戸籍が日本で消されるからです。つまり帰化人は二つの国籍を持つことは許されません。二世ですと父母が日本に国籍があれば二世でも出来たのです。ある意味でブラジルの国を愛し、国民も愛しているのです。何故なら私達外国人を尊敬し、平等に扱って貰えてそして大らかで明るい。日本のように上下の差別がない。そして気候もよい。暮らしやすい。以上のことが挙げられます。
ブラジルに移住し50年以上この国に住んでいても一日でもふるさとを忘れたことはなく、昔の村のたたずまいが頭に焼き付いているのです。ふるさとの三味線の音を聞くたびに胸にこみ上げてくるのは外国に住む人は皆同様のようで、特にふるさとの言葉は懐かしく、いつか私と安義と成幸の三人でサンパウロとサントスの中間にある古い町を訪ねたときに、レストランで食事中、沖縄の言葉で語り合っていましたら、奥の方で食事を取っていた夫婦が「ワンニンウチナーエイビンドー」(沖縄人)と名乗り、しばらく語り合い、名残惜しんで別れました。村人会でもお互い長い間のご無沙汰、健康を喜び合い、村の言葉で語り合いました。自分でもブラジル人と付き合いながらも完全にブラジル人になれないもどかしさを感じるのです。

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