2011年5月8日日曜日

ウチナー人

私は昭和一桁の生まれで、古い時代と新しい時代の中間に生まれて、沖縄が大和世になった頃の話も母が話し伝えに聞かせてくれた。また、村おこしの頃の話、男の子は褌をつけて学校に通った話、沖縄の貧しい時代、毎日芋と味噌汁で学校にも芋を弁当に持って通った時代、10歳以上になると親同士で子の将来の縁組が交じわされていた話など、約百年の歴史がわかるのです。沖縄の言葉もよく理解でき、またもちろん日本語も不自由することはない。
50年前にブラジルに移住してポルトガル語も理解でき、現在帰化してブラジル人になっている。
最近ある本土の人が、沖縄さんは大したことをやるもんだねと語りました。実は私の町に沖縄二世の食品会社PANCOの大きい工場が出来つつあります。ある人は沖縄人は偉いもんだね、よく団結心があるとも語られました。そのことに最近好ましくない争いが起こり、沖縄人である私も心を痛めております。古い人々が築いた沖縄人のアイデンティティーが失われるのではないかと思うからです。もっと建設的なこと、例えばどのようにして会を二世三世にバトンタッチしたらよいかを議論すべきではないでしょうか。
私の住んでいる町には50年前、ウチナー人植民地が3箇所あり、2つの日本語学校も経営しておりました。夜になると家々から三味線の音が聴こえてきて、沖縄にいる気持ちになりました。沖縄の踊りも二世の子達が身に付けていまして、ウチナー人は特別な存在でした。
殆どが田舎に住んでいて、二世の子達に高等な教育を与えていて、4人もの医学生がいた。その他にも歯科、経済、法科と学んでいました。そのことが本土の人から、沖縄さんは教育熱心だねと言われる故でしょう。またある人は沖縄さんは信用できるねとも語りました。またある人は沖縄人は頑張り屋だねと。確かに今日の経済力を築き上げた裏には、古い移民たちの頑張りが二世達に受け継がれ、今日に至ったのではないでしょうか。
さて、現在私の町には5人の純粋なウチナー人がおり、何とか沖縄人のアイデンティティーである信用、教育熱心、団結心、そして頑張り屋を二世三世に伝えたいと思い、またウチナー人であることに誇りを持つものであります。
2002年9月7日

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