2011年5月9日月曜日

国吉 牛 家族

 私の祖父、牛氏について昔のことを記憶のまま記しておこうと書いております。
 祖父牛は沖縄の南部、東風平村字上田原で、屋号は当銘地家の地名で村でも土地の多い家でいつも雇い人を使っていたようです。それでもあの頃は生活が貧しく、次男の牛さんまで土地を与えることは難しく、外国で稼いで5年くらいで帰り土地を買うのが目的で、沖縄に長男と長女を残してブラジルに移住したのでした。まずモジアナに配耕され、2年後ジャカレジーニョに移りパラナの土を踏むことになる。4年後、自分の土地をアグア・ド・ヴィエイラに求めて地主となる。その後面積を大きくする目的でタクアラに土地を買い移る。その間にツルコ、カメコ、真寛、清子、真吉が生まれ安定した生活が出来るようになった。
 牛さんは無学でしたけど、頭がよく、考えてあらあらの計算は出来た。自分が無学ゆえか自分の土地に学校を建てることを実践した。また同県人の世話もやり、金を貸して土地を買わせた。その後タクアラはマラリヤが多いのでチジュコ・プレットに土地を買い換えた。コーヒーの景気に逢い生活はなお良くなった。
 牛さんの家族構成で来られた甥の真保さんは師範出で頭の良く切れる人でした。沖縄にいても目立つ方だったろうと思いました。ポルトガル語の良く話せる方で、ブラジル中を移り住んだ人でした。働かずにお金を儲けようと考える方でしたので家族は苦労したようです。
 もうひとり祖母の兄弟に国吉アントニオさんがおります。2人の息子ルイスとシルビオがおります。孫、三代になると多くの大学卒業生が出て、祖父の意志は立派に受け継がれていることに孫のひとりとして敬意を表します。

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