2015年8月23日日曜日

 随筆   晩年

晩年とは年齢が老人になり死の近くに生きた幾年と
思われる、私の現在にあてはまるのです
仕事から離れて日々の時間をどのように
過ごすか時間をもてあましているのが現実です、
若い頃と比べて何事にも熱中できないでいる、
その目的は、成し遂げねばとの意義をみいだせないのも
原因と思う、また体の不自由も原因で、目が長時間に
読書にたえず、目が潤んでくる、先週も青空文庫より
太宰治の作品を引き出して読み始めたけど手ごたえのある
作品ですけど、最後まで読んだのはない、字か霞んで
見えにくくなりほりだしてしまう。時間がたつとまた
次の作品を読み始める、ブラジル新聞も見出しと
コルナを読んでなげだす。なんでも知りたい欲望だけは
衰えないようだ。
亦長時間こしかけると腰が痛み、運動してまたあとに
読むのを続けている

それでも生きた証に何か書いて残したいと
思うのですけど、中なか筆が進まない。
記憶を詠みかえらしたら、今日まで生きた証は
たくさん在るはずなのに思い浮かばないでいる。
自分と親かった人々は他界され自分だけが残されて
過去のことを書き残してくれと、頼まれているとも
感ずるのです。
考えると移住者の中で自分ほど日系人社会とブラジル
社会に溶け込んだのも少ないようだ、
日本人会の役員も長年勤めて、いまでも相談役に
おさまっている。亦仕事上組合の役員にもなり
多くのブラジル人と交友をもつ事ができた。
数多くの集会に担ぎ出されて参加したことも
自分の知識を広めたことになっている
それ以外に崇教団体にも加わりパレストラにも
加わった経験がある、人と交わることが自分の
知識を会話の中で披露する事にもなった。
特に後輩の移住者の結婚や独立にも手を貸してやった
方が幾人もおり、その人人も自分より先にいって
しまった。取り巻く日系社会は多様化して。まさに
同化の現象を思わせる。農業に携わる人物は少なく
私自身も最後の締めくくりに土地を貸し出せる準備
をしている。朝目が覚めると寝て体のアロンガメントに
足の運動をする。腰のマッサジ器を使って揉む
そのご呼吸器を使って肺の掃除をしたら鼻の呼吸が
しやすくなる。全てが娘たちの指導で行われている
先週も一周間も身体検査で費やした。
それほどに医学の発達を利用して自分の生命を
伸ばさなくてもよさそうだけど。反面、寝たきり
になり娘の世話で生き延びるのはなおさら御免だ
近頃思う事は若い世代から植民地時代のこと特に
日系人社会が二つに分かれていた時代の事や
経済状態を聞かれることがある、わたしは
戦後移住者で多くの戦前移住者(一世)と関わっていた
けどくわしい状況を聞くのを忘れていた、
それもお互いに古傷に触りたくない思いがあった
のだろう。自分で想像して語る立場にある。
若い世代の二世が自分のルーツに関心をもちはじめたのは
当然で日系社会を引きつがせる役目だと思っている。
この文章も後輩に残す積りで書いている

 2千十五年八月十六日  国吉真一