2011年5月9日月曜日

日本人の気質

70歳以上の二世や、幼い頃家族と一緒に移民で来られた方々のなかに、驚嘆するほど日本人の気質を持った人に出会うのである。
ブラジル国であらゆる民族と生活していても、日本人の気質が受け継がれているから、その元は何から来るのか。何か親の持ち合わせた気質、大和魂みたいなのが小さいときから親と一緒の生活のなかで受け継がれているように思われるのです。
経済の面のようなグローバルの世の中で、日本のように親子何代も続いている店や職人がおり、反面、スーパーのようにでっかいのが出来たり潰れたり、めまぐるしく変わる経済界に100年以上続いた貿易商でも赤字になると伝統を守りきれず、変化なくして存在なしと社長の命令で動き出す世の中で日本人の気質が受け継がれているのです。その気質は日本人だけでなく、ドイツ人やオランダ人なども同じでしょう。
先日、カンバラ市の日本人会役員、私も含めて3人が当市にお住まいの高橋庄一さんから来てくれとの招待を受けて訪ねることにした。庄一さんは父順一郎さんと一緒に北海道から移住してきた。カンバラに15アルケールの原始林を購入し、仮小屋を建てて開拓を始めた。6歳の庄一さんも小さいときから親の手伝いをした。日本語学校にも行かせてもらった。多くの準二世のようにその後は独自の勉強により、ポルトガル語以上に日本語を理解することが出来た。庄一さんが青年の頃には日本人としては大きな資産家になっていた。土地以外にもピンガ*工場を持ち手広く販売し、それ以外にも南米銀行の特大株主でもあった。80歳のとき日系の慈善団体に多くの寄付をなされ、その後も何かの記念に同様な団体に寄付をなされておるのです。
もともと高橋家は順一郎さんの父の代に北海道に渡り、味噌醤油の販売店を経営していましたけど、仕事は順調ですけど現金はなく、閉社してブラジルに渡り、戦後敗戦の日本に帰国して、負債を利子をつけて返し村人の話題になったようです。
さて、父順一郎さんはきめ細かく台帳に記録し、自分の子孫の戒めの言葉を残しておるのです。その内容は日本の諺にあるのと似たことを書いてあります。たとえば、決して思惑に走ってはいけない、大きな仕事を始めるときは3年は試験的にやること、決して争ってはいけない、すべて妥協を求めよ、毎日毎日貯蓄して仕事を始めよ、決して他人の保証人になるな、助けたければ現金を与えよ、近道をするな危険に遭うとより遠くなる。以上のことが書き残されてあり、最後に遺書の件にはいり、父は生存のときから日系慈善団体に寄付しており、亡き後も贅沢に走らず、お世話になった慈善団体や日系団体に寄付をするようにと書き残しておるから、本日お招きしたのもカンバラ日本人会、婦人会、カラオケ会と総計一万七千レアルを寄付したいからと早速小切手を渡してくれた。その前にも、援護協会にも多大の寄付をなされているようです。
私はその人柄に圧倒され、涙が出るほどでした。質素に暮らし、ひとつの信念に生きて親から続いた日本人の気質を思い知らされたのです。
この記事は新聞に送ろうかと思ったけど、庄一さんは大々的に報道されるのが嫌いで、「のうそん」なら庄一さんもとっているので許してもらえるのではないかと思っております。

*編者註      ピンガ:砂糖キビから造る火酒。カシャッサの名で、各国に輸出されている。

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