2011年7月22日金曜日

解らないこと

解らないこと
細かい微生物や何億光年の距離にある惑星の実態が解りつつあるな中で、私には判らない事がたくさんある。
子供を生んだ事のある母は産む時の痛さを、何にも比べる事が出来ないと母親は言われる。男である私にはどれほどの痛さなのか体験する事は出来ない。ただ想像するだけなのです。併し人間の体は自分を守る反応があって、たとえば電気のショっクなど受けたら、とても電線に触れる勇気がない。これは時分を守るための自然だと思う。このようにあれほど痛いのであれば母親は二度と子供を生まなくなると思われれる。それでも次々と子供をうむのが常である。それとも人間は自分の子孫を残そうとする本能が、生む時の痛さを忘れさせる力があるのかも知れなと考える。子供を生み育てる喜びは女性のもって生まれた本能だと思っている、併し私の甥に子供を生まないことを条件に結婚したのがおる。身体に何の不足もなく、しかも大学卒なので経済的にも余裕のある人なので自分の子孫を残す本能が女性にあると思うけど私には判らない、ただ子は夫婦のかすがいとの言葉のように、愛情だけで年をとったときの不安がないのか私には判らない。また独身女性は子供を育てるわづらわしさに結婚しないと語る。子供を育てる喜びは本能だと思うのですけど,判らない。動物の世界では強いオスが一族の子孫を残すために多くのメスに子供を生ませ強い子孫を残そうとする、人間でもアラブには男は四人妻を持つことができると言われる。現代社会でも、お金のある人や、有名人などが妻以外の別に子供をつくり話題になるけど子孫を残そうとの本能が働いているのか判らない。また原始時代に近いようにも取れる。現代社会は力で支配するのではなく、頭で支配する社会です。人間の才能は子供にも継がれる、良い才能を持った親の子もよい才能をもって生まれると言われる、また人間はさるから進化したとも言われる。いまでも人間は進化しているのでしょうか判らない。
昔と比べてあまり体を使わなくなったとしたら退化しているのでしょうか判らない。現代人は昔と比べて男の精子の受精能力が劣っていると言われている。、頭を使う人ほど劣ると言われる、現に下層労働者に子供が多く、知識層に子供は少ない。生物の世界では生命の短いのはより多くの子孫を作り、自分の子孫を維持する本質がある。その反面改良された果物や花などは種が少ない。人は努力して才能を磨いたとすれば、進化によってその子孫にも良い才能は受け継がれるのかも判らない。私たちは自分の子には、苦労はさせたくないと自分は苦労して大学まで学ばせ、現に子達は苦労せずに済んでいる。しかし苦労は人を磨くと聖人は語る。確かに自分も磨かれているように受け取れる。はたしてそれが良かったのか判らない。
聖書の教えに左の頬をうたれば右の頬おも与えよとある。人間は自動的に自分の身を守る本能がある。争わない意味はわかるけど実際に自分が打たれた時に別の頬をも与える事は出来ないと思う、まず本能が働くと思うけど判らない。もう一つ貧しい物は幸いなりとある。誰とてもよい生活がしたいと願い。努力するのだと思う。それゆえに社会は発展して現代社会が出来たと考ええられる。土人は良い生活がしたいと思わないでしょう、実に失う物もない、お金もいらない.貧しい者は幸いなりに近いように受け取れるけど。判らない。人種差別は法律で禁じられている。人間のもつ好き嫌いは内面の問題であって差別ではないと思うけど、もともと脳の中には白は明るく、黒は暗いイメージが焼きついてるのかもしれないと考えるのですそのことが人種差別になったのではないかと考えるけどわからない。。私の住んでいる通りはバス停留所に近いので良く物乞いが現れるので、与えた方が良いのか迷うこっとが多い、まずかれらの語るのがほんとか嘘か判断に迷う。与えたら何時までも自立できないのではと思うけど判らない。人は自分から好んで生まれたわけではない、生まれた時から生きようとお乳を要求して育つ。大人になってなぜ生きているの考えて見るけど判らない。ある人は生きて社会の移り変わりを見たいという。老人になり半身不随で、家族世話で生きている人を見ると、自分は世話にならずに死ねたら、家族はほんとに良い人だったと思うかも知れないと考えますけど、自分がその身になったら生きたいと思うのではないか判らない。まだまだわからないことがたくさんあるけどこの辺で   国吉真一

2011年7月16日土曜日

ブラジル人気質

ゼイチンヨ‐ブラジレイㇿとの言葉がある、この事はブラジル人気質ともとれる言葉です。ブラジルは気候のせいか国民がのんびりとしている。祭日が木曜にでもなると日曜日まで4日
間わ公職は休みとなる、それ以外にもやたらに休みが多い。書類の手続きでも一遍で済んだためしがない。遠いところでは一度で用事を果たすことがない、お客さんを二度も足をはこんでも平気でいる。当然だと思っているようです。南米は殆ど同じの様で。そもそもラテン系の国民性でしょう。日本の電車が時刻通り運行するのに、さすがに日本人は約束を守る国民だと褒めるのです。ジャポネスーガランチ-ド「確実」の意、移住して時期は日本人の気質に合わないので嫌気がするのですが。なれると気にならなくなる。多分自分もその雰囲気に慣れた故でしょう、私は日本人の品格の本を読んで日本人であることに。感銘してその本を紹介した。そして随筆にもかいた。しかし
現在世界経済不況の中で日本が一番打撃を受けているような感じがする、敗戦からの日本の復興は日本の終身雇用体制が発展の基礎になっていたようだ。其の後グロバール化してアメリカ式の能力主義をとりいれて、世界に生産工場を造り製品を売り込んだ。
アメリカ様式を奨励した経済家や経営者が政府の役所に勤めて奨励した。、現在の不況に立ち向かい海外での設備投資が利益を損なうまでになっているのです、現在までの利益だけを求めるやり方が、社会に及ぼす影響を考え始めた。会社の利益よりも雇用が大切だと反省しているようで、この様にいかなる説も時代の変化によって考えが変わるのです。私の持っていた
日本人の気質がブラジルには馴染めない気がするようになった。世界20カ国の首脳会談がロンドンで行なわれた際に、日本が世界で第二番の経済国であるにも関わらず.日本の首相があまりパっとしないけど。ブラジルのル‐ラ前大統領は意気アイアイで対等に話し合っているのです。そのことが日本人の気質は日本人だけの者の様な気がするのです。。世界七か国が財政赤字に悩む中.財政てきに中国やインドやブラジルが国際的信用度が高くランクされている現状です

2011年7月10日日曜日

二千十一年ブラジル事情

ブラジルの経済状態は世界でも良い方にランクされている。特に農業方面では農作物の世界市場が去年の倍にも近い値段を維持しているしコヒーも四百レアウ位している、それ以外にもサトウの生産や牛肉や鶏肉や豚肉が盛んに輸出されて外貨を稼いでいる大豆は勿論の事、それ以外にも果物ではミカン汁やマンゴやメロンやブドウなどが、来た半球の季節はずれに生産されてヨ‐ㇿッパやアメリカの市場に出ている。今年はラニンヨの影響で気候不順で不作の場所も有るかも知れないと予測している。その反面工業製品は鉄鋼品は中国製品に押されている。もちろんドル安の影響も大きい、ドル安は当分続きそうである。その理由はブラジルはまだインフレがあり銀行利子を高くしてインフレ-を抑えよとの政策が投資を招きドルが市場に溢れているのが原因で、もう一つはドルそのものがアメリカの国家の赤字埋めによ必要以上に発行されて上院議員は発行上限を定めているそれでも、市場に流れて、価値が下がっているのも要因だ、ブラジルは女性の新大統領が誕生して国家予算が赤字の上に大きなプロジェトが計画され。2014年のコッパャ2016年のオリンッピクのインフラ設備や競技場や空港の設備やホテルや交通の整備に莫大の投資が予定されている。勿論外国のお金を予定しているので景気は続くけど国のバランスは予測できないのが事実です。政府はルーラの跡を継ぎ最多数の党派で与党は成り立っていて議会を通過するには莫大の資金が議員に流れて。汚職は甚だしい、これも前大統領の遺産なのです、
今年に誕生した女性大統領も二人の大臣が汚職問題で失格しているのが現状です。ブラジルの税金は世界でも最も高く州ごとにも消費税が異なり平均して36パーセントにもなるようで、工業製品が輸出面で競争できない状態です。企業家は外国と競争できない理由に税制改革を提案して前大統領時代から改革案を議会にだしますけど。州との折り合いがつかず現在にいたっておりま

2011年7月9日土曜日

私と 農業組合

1970年代までは各町に、穀物仲買人が二三箇所あり農家に前貸ししたり、穀物を値段のよくなるのを待って預けたりしていた。
勿論資金が少なくなると払う能力がなく、泣き寝入りすることもよくあった。その不満から立ち上がったのが農業協同組合である、
あの頃は日本人の農業者が大部おり、その子弟の教育にも4Hクラブや農村振興会などが指導にあたっていた、パラナ州は大豆と小麦栽培で日進月歩で機械化が進み、また、小麦は政府の買い付けで組合を通じて支払われたので、他の町からも別の組合も進出して倉庫や販売所を設立して,穀物獲得競争に入った、丁度その頃、私も役員に選ばれた、もともと組合理事が組合の理念を外れて商業に走っている感じがしてならなかった、あの頃はインフレーが激しく、インスーモはどんどん上がり一方で銀行から融資を受けてストックしても利益がでた。肥料などはストックすると固まり機械で植える際にいちいち砕いて機械に入れた、人手が増える一方でうまく分配されなかった、ある総会で不自由なポルトガル語で組合の理念について,こう語った、組合は組合員の為の組合であって、組合の為の組合員ではない、組合の利益だけを求める為に古い肥料を売りつけるのは理念に反するといったら、組合員からの拍手が湧いて、次の選挙に役員に選ばれた
北パラナにはいくつもの組合が誕生した、農業に関係のない仕事で例えばスーパーやガソリンスタンド経営や運送業など一般実業家の仕事も経営して、組合員から集めた資金が別の方面に使われていった、経営が複雑になり従業員が増える一方で労働法の争いなどでも弁護士など、余計な費用が嵩んだ。その反面穀物を倉庫に下ろす仕事は自動化されずに多くの労働者を必要とした、そのようにコストが嵩み民間企業よりも利益が少なく競争できなくなった、そのような時にパラナ連合組合が中心に経費や不純物のデスコントを統一しようと試みた。私は会合で次のように発言した、、組合同士の競争はむしろ組合員にとっては良い事だ、組合の競争相手は組合ではなく、自由業者だ、組合は利益を上げるのでなく、経費を少なくして、利潤を上げるのが建前だと言った、亦一つの街に二三の組合が生存競争するのは経費の面で無駄がでるので総合する方が良いとのべた。理由として民間企業が生き残る為に結合など行なっているし、金融界の大物オラヴォ、セツバル氏は生き残る為にには必要とあらば一週間で金融業界を再編成できると語った、組合は1970年代にパウリネリ氏が組合法を創り挙げて以来今日まで何にも変わっていない、リダー達は自分の縄はりを守ろうとしているように受けとれる。ブラシルが世界優秀な農産物生産国ならば、輸出を取り扱うムルチ‐ナシヨナルのような巨大組織を組合が所有して欲しいと願うのです。其の後も貯蓄組合を設立し、私も参加して地方を訪問して、会合を開き、その必要性を説いた。まず昔のコロノの時代を思い出し、あの頃は食糧買出しに一ヶ月に一度、町へ買い出しに出た。ある家族は食糧が不足すると隣の家から借りて生活した、その連帯意識が田舎にあったのだ、貯蓄組合は其れと同じだと説いた。、お金の余っている人は組合に預けて、必要な人は借りてその橋渡しを組合が責任を持って、銀行と同じ仕組みであり。勿論穀物のように倉庫も要らず、雨の日も休みの日も利潤はあるのです、お金ですから理事の信用と責任感は大切ですと語った、このように組合関係に携わり、今日にいたっている,考えると私自身も多くの事を学んだ気がする、あらゆる方面での知人が出来た、農業営農にも支出と収入や会社のバランスも診る事が出来たのは大きな体験だと思っている、組合が組合員の穀物を抵当に低利子融資をうけて、資金を利用し抵当物件を売っても返さず資金利用する事も度々あった、融資を受けたお金が再融資を受ける際に私夫婦の保証のサインがいまだに残っており、私の加入の地方組合も、其の後北パラナで唯一の日系組合と結合して継続している、
そして何とか危機を乗り越えて、農業者の支えになっているので幸いだと思っている。2011年7 月10日  国吉真一

2011年7月7日木曜日

日本の2011年度7

日本は去年以来民主党政権が誕生して国民から多くの期待がよせられていたけど、経済や政治はなにも変わらずに新年を迎えましたけど、党内での対立に振り回されて、第二次内閣を発足して危機を乗り越えようとしているのです、マニフェストにかかげた公約もある程度変更して、財政赤字や年金制度の赤字や保険のあり方を変へなければ、財政赤字は膨らむばかりです、世界でも最も高齢者が多く尚出産率が最も低くて若い生代の負担が増え続けるのです
今年見舞われた東北大震災により第二次世界大戦の日本の破壊の次にやって来た災難です、地震と津波そして原子力発電所の破壊と
ラジアチブの住民の健康に与える影響で避難生活を余儀なくされた人々が一万人も超す、死亡した人々も一万人以上で尚行方不明者も5000人を超える人々が災害に見舞われているようです。
被災地となった東北の市の残骸をみると市民が住み家を失い家族を失い、そして仕事も失って途方にくれている姿をテレビで見て胸が締め付けられる思いがするのです。それでも住民はお互い励まし合って、頑張る姿はたのもしいのです。私は終戦の沖縄を思い出します。アメリカ軍人が焼野原の街で10歳の少年が靴磨きをしていたので軍人はお金とお菓子を与えたら少年はポケットにしまいこみ食べようともしませんでした。その軍人は少年になぜ食べないのかと尋ねたら、家には妹がひもじい思いをして待っていると答えたので、軍人は日本の国はきっと早く立ち直ると思ったとのことがエピソードとして伝えられている、外国人からも日本人は規律をまもり協力を惜しまない国民なので早く復興すると語っております

砂糖キビ栽培

2011年は世界でも注目を集めているのがブラジルの農業です。穀物の相場が世界市場で上層してブラジルの外貨準備高が高く。国際的にも金融的に信用されるまでになった。その反面にアメリカや日本やヨーロッパが軒並み不振に陥っている。その中でも中国は世界でも日本を抜いて第二位の国民総生産国となり、世界の穀物を買い付けたのが原因です。ブラジルは東北に生産地を拡大してアマゾンの森林を切り開いて農業用地に変わろうとしているのです。政府は世界の温暖化を防ぐためにも開発を食い止めようとしているのです。農業生産の中でも目立ったのがアルコール生産です。ガソリンの高値に誘導されて,砂糖キビ栽培が増えている。わずらわしい労働者もさけてパラナ州でも機械化が進み、土地所有者も楽になったのも原因ですパラナには、何度か作物のブームに沸いている、まず、原始林を開いた時にはコヒーのブームにのり開拓された、その後世界生産過剰のもとで価格が下落し大霜がもとで、綿の栽培に変わった、これも下落により、大豆栽培ガ始まった、そして現在ブームに乗っているのが砂糖キビ栽培でそれには土地と気候が適していて、国際情勢がアルコールを求めているからです。
去年四月に植えた砂糖キビを今年七月に収穫した、結果は上場でした、アルヶ‐ル「2,42へクタール」当たり350トンの収穫で値段は約トン当たり16ドルです、工場渡しで費用は半分はかかり、距離は24キロに工場があり、遠くなると、純利益が少ない、幸いに私の土地の周辺には三つの砂糖工場があり、その点助かっている、去年植えた砂糖キビ畑は初めての栽培なので平均寄り、50パーセント余計収穫があった、砂糖値「ブリッツ」により値段はブリッのよいほどアジオがつく、全部で4500トンがとれた、二年目は分決するので雨さえ充分あれば5000トンの収穫が予想されている。以前は大地主しか砂糖栽培は出来なかった、理由は大型トラクターや運搬車やホ‐クが必要だった、現在は企業化されて請け負う会社ができて、少農家でも栽培を可能にした、
ブラジル国内で生産されている自家用車の80パーセントが現在アルコールを燃料とする車になっている。
ブラジルが世界一アルコール生産国になるまでには長い屈折があった、政府と企業が一体となって進めた結果、国内の車のエネルギー消費を賄えるまでになった、また世界の石油価格も上昇し、エネルギーを石油だけに頼る訳には行かなくなった。今アメリカではアルコール生産をトーモロコシから生産しており、家畜の飼料にまわすはずのと‐もろこしが上昇して世界の肉類も当然上がる結果になりつつあります、その点ブラジルのアルコール生産は面積当たり、とーもろこしよりも1.5倍のアルコールを生産するこが出来ます、ちなみに砂糖キビはトン当たりのアルコール生産は、約90リットルといわれている、値段はリットル当たり
約60セントで環境にも良く、日本からも取引があり、住友産業が資本を投資して、将来のエネルギ‐を確保しようとているようです

2011年7月2日土曜日

 投稿者

隣町に住む知人は、娘を通じ知人にんりました、彼、から二ヵ年分のサンパウロ新聞の投稿欄をまとめて、届けてくれた。土曜、日曜を利用して読んで見た、、日系コロニャにまだ多くの日本語の投稿者がおられるのに驚いた。つい日本語で文章を書く人って、どんな人物だろうかと考えてみた、Sさんは10歳の時家族とブラジルへ移民したらしい。家族と共に借地農で転々とサンパウロ州を渡り移転したようだ。青年になるまでコロニや集団地で生活したようで。あの頃の日本語教育が代用教員であるにも拘らず、難しい漢字で現代は使わない言葉で文章を書くからめずづらしい。投稿欄を読んで殆んどが戦前の教育を受けた人々のような趣がするのです。彼氏の場合ヴィドロサリャを経営して定年を迎えたようです、町で仕事をした人なのでポルトガル語も充分理解できると思ったけど、そうではないらしい、町に日本人はわずかでブラジル人との交流もあるかと思うけど、そうでもないらしい。毎日を読書や日本語新聞など読むのに費やしているようです。このように日系人の中にアポゼンタ-ドで日本の書物を読む人口がブラジル人に比較して大部多いと思う、一体投稿者は何で文章を書いて発表するのか考えてみた。
私の場合、時間に余裕が出来た事、この世界から消える日が近つきつつある事、生きた証しを残したい事、意見を交わしあう相手が欲しい事、投書すると読んだ知人から声を掛けられ励ましてくれる、貴方は物の見方がおもしろい、などと意見が返ってくるから尚書きたくなる、これは丁度役者が舞台で喝采を浴びるとなお演技に精だすのに似ている、自分で書いたのが採用されて新聞や書物に載るとやっぱり嬉しい、俳句や詩などの投稿者もみな同じ気持ちだと思う。書くことはボケないので良いことが上げられます。随筆を書くときはまづ題を頭に浮かべる、その動機やいきさつを書き、終わりの締めくくりを考えておいて、中身は題について頭に浮かんだ事を書き、パソコンですとあとで亦思いついたことを書き入れる事が出来るから、ある程度の文章が出来上がるのです、長年文芸春秋を読んでいましたけど始に読むのは随筆でした。まづ文が短い、ありふれた問題が書かれていて何かのヒントを与えてくれる。つい作者の名前も覚えてしまう、などで今でも多くの人々に読まれている。新聞などに載る投書は地方の出来事や自分の周囲に起こった出来事を知らせてくれる。その人のもつ知性を知る事ができる。同感できたら見識なくとも友のような感がする、などがある。日本生まれですと例えポルトガル語が理解出来たとしても、何かのブラジル人の会合でも残って余談のわに馴染まないのですぐ帰る、日本人の会合ですと時間のたつのも忘れてしまう程意気投合するのです。殆んどが若いころ植民地で過しているので話題が通じるのでしょう、
移民の中には元教員や役場員や事務員の経験のある方もおりますけど、このブラジル社会では通用しないから自分で仕事を始めるか、人に使われるかであったと思うのです、それでも何とか子供を大学までやり、よい職業につかせていて、、日本では役所や書類づくりや、なんでも自分で出来たけど,当ブラジルでは息子に頼らねばならず悲哀を感ずるでしょう、ブラジル人の中で会話がはずんでも自分の意見は言えない、息子や娘が集まりブラジルの社会問題をポルトガル語で議論しますけど、日本生まれの親は理解出来ても意見を言いたくても適当なポルトガル語で話せないから黙ってしまうのです、このような時代の断層が移民のなかで起こっているのです、日系人の多い集団地では老人会やゲートボールや仏教会などがあり土曜、日曜は過せるでしょう、それでも老人の悲哀を感じてはいけません、移民当時の言葉も判らずお金もなく、働く事によって子供を育て、大学まで行かせた自分の力を振り返って、例え息子や娘が偉くなってもその父母が偉いのです、心を狭く持つ事ではありません、現代が職業難でも、移民に比べれば子達は容易なことです、楽な仕事で良い収入を得たいからなかなか仕事が見つからない事だけです。、