2014年1月26日日曜日

随筆  愛と絆

私はかってない体験をした.八十歳になってからある文章がパソコンにのっていたのをみた。記字には同じく八十歳になる小説家の記字でした。次のようにのっていたのです。蝶々は長年土地の中で過ごし、やっと地上に出て暮らし、また蛹になりやっと花から花へと飛び回り蜜を求めて飛び回る姿はあたかも自由を謳歌しているように映る。然し余命は幾らもない.小説家も苦しかった自分の過去に似ていると感じた。今後は自分も蝶のように自由に飛び歩きたいとあった。
その記事を読んで私自身も似た所があるように思った。私八十才になり仕事から離れて。時間的にも生活にも余裕ができ、飛び歩きたいと思った。但し私には足の膝に痛みがあり自由には歩けなかった。私の従兄弟が同様に膝に痛みがあり、手術して一ケ月で完全に元通り歩けるようになった。私も同様に手術すれが完全に歩ける様になるのではないかと。同じ医者を訪ねた。お医者さんは、貴方の痛みは同じ場所でも原因は違うと云われた。同じ病院の脊髄の専門の医者を紹介した。お医者さんは日系人でマリンガ出身でしたのでホッとした。名前はドツトル佐藤で私のレントゲン写真をみて貴方の脊髄はS字型に大部歪んでいると云われた。
それでも手術でなおり足の痛みも無くなると言った、私は八十才での手術、しかも脊髄では考えてみることにした、医者から準備の検査をするように書類を渡された、いろいろの検査をして持ってくるようにと準備はしておいた、ただ私には糖尿病があることが判った。私は戸惑った。年齢と糖尿病ではうまくいかなかったら尚悪化すのみだと思った。もう一度医者を訪ね私の思惑を説明した。医者は僕の父も八十四歳で手術して歩けるになったと言われた。その言葉に勇気が出て手術を受けることにした。
自由に歩ける夢をいだいて手術室に入った。
前進麻酔なので何時間が経過のか判らない
そのごU.T.Iに移されて尿が出やすいように管が入っていた。UTIから出たら外には娘達がホッとしたように笑顔で待っていた。
その後個室に移されて麻酔がだんだん覚めて痛みがひどくなった
夜は痛みと体の身動き出来ない状態に、かって味わったことのない苦痛に悩まされ眠れずに頭は冴えていろいろのことを考えさせられた、このような苦しみを味わうなら麻酔が覚めずに永遠の眠りについても満足だと思った。しかしUTIから出て来た時の娘たちの笑顔を思うと、そうだ何としても乗りきろう。これも神様が与えた試練だと考えるようになった。何故か胎内にバクテリヤ菌が宿り、その退治に多くの薬が使われ未だに投射している。
この苦痛は私の考え方をも変えてくれた.俗欲を離れて無欲で生きる事ができるように思われた、ある人が苦行して自分の道を歩む姿が自分の置かれている立場と似ていると思った。また次のように考えてみた。ある人は子育てには苦労が多く子は少ない方が良いと言われる、私は多くの子を育てた、病になって、娘達の夜昼の交代での看病で涙がでるほど嬉しかった。多くの子供を育て報われた幸福感に浸った。

昼は妻が尿や食事の世話をして老人になっても絆を愛で結ばれている事に有りがたさを思い知らされた。親と子も母親が子供に区別なく愛を注ぎ姉妹達もおなじ鎌の飯を分かちあって成長した中なので夫婦と親子そして姉妹と三角関係が深い愛と絆で結ばれていることに安堵している、養生中は多くの友達から激励のメールも頂き、多くの知人が見舞いにも来られ自分がこれほど信頼されている事を知って嬉しさに胸がつまった。年齢からもいつ神様が迎えにきても悔いがないように思われた   1千十四年一月十二日