2011年5月9日月曜日

国 吉 真 次

国吉真次氏は私の妻千代の父で、沖縄の上田原村の屋号は新坂迎ミーサカン家小で四男に生まれた。彼の父は村一番の働き者で多くの土地を持っていた。彼は18歳で結婚して夫婦とも働かされた。このままでは何時になっても自分の土地を持つことが出来ないと分家することを思い、ブラジルに移住することを決めた。その頃には二人の女の子と長男が生まれていた。
女の子二人を残して1933年アリゾナ丸で3月の末にカンバラ市のタクアラ植民地内の国吉ウシさんの土地に着いた。
二ヵ年そこで働き、沖縄から持ってきたお金を合わせて6アルケールの土地を買うことが出来た。しかし土地があまりにも長いので売って、アグア・ド・ジャウーに10アルケールの土地を求めた。その後、土地が良く何でもよく出来、コーヒーも見事に実ったその土地を売り、日本人の多いチジュコに移った。
畑仕事は人を使い、長男と次男は大学へ勉強させた。農業は自分だけで結構だと彼は考えた。その間にも弟の真亀や甥の真考、真輔なども後を追ってやってきた。
戦後も多くの新移住者が彼を頼りにやって来た。新城安義やその一族新城安考氏家族、新城安吉、赤嶺家族、それに新城安誠。最後に甥の栄光さんの息子真次がひとりで移住した。その頃は沖縄も日本のバブルに沸いて景気がよかった。日本への出稼ぎが始まった頃である。
真次氏は、農業は自分だけでたくさんだと息子たち、長男の永秀は歯科を卒業しサンパウロで開業し6人の子を大学までやっている。次男の永賢も同じく歯科大学を卒業させている。親子三代まで真次氏の意志を継いだことになる。

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