2012年8月25日土曜日

方言


何処の国にも方言は存在する。なかでも沖縄は方言が豊富な島だ。村を隔てても言葉が違う。私の住んでいた惣慶村も特殊な言葉を使っていたので県人に知れていた。沖縄の方言は元々琉球王朝時代に使われた言葉で大和言葉も取り入れているのが交流があったとしか
思われない。UNESCOにも言葉として登録されているようです。 沖縄方言にも標準語があり。沖縄芝居で語られる言葉を持って標準語として県人は認めていた。戦前学校で沖縄語を使う事は禁じられていた。老人もなんとか日本語で親子が話せるようになってきた。識者は沖縄言葉が無くなるではと心配した。戦後はテレビの普及で若い沖縄人も本土と変わらぬアクセントで日本語を使っている。沖縄言葉には日本の自然を描写した俳句や万葉集に出る言葉は見当たらない。それは当然で沖縄には四季の変化がない、山や森の木は年中青青としている。海にも変化は起こらないので自然を読む描写の方言が見当たらない。それでも人間の感情を表す。言葉はたくさんある。その云われは島が貧しくお互いに助け合って生きねば成らぬゆえでしょう。特に自己的な人は人間でないような表現の言葉が沢山ある、中でも、感情を表す言葉に体の部分を使うのを最良の表現とした。その中で日本は腹で表現した言葉.例えば。腹ぐろいや、腹が立つ。腹が収まらないなど。沖縄の言葉には肝と心一体にした言葉が多い、チムグクル(肝と心)。チムヤンジ{胸痛む}。チムビルサン{心ひろい}など数えただけでも20以上の感動詞がある。代表的な言葉がイチャリバ.チョウデ{会えば兄弟}は沖縄人を表現した最高の言葉のような感じがする。亦処によって言葉が違う、例えば北部ではカサギラス{背負わす}の意味が南部では妊娠させるという。北部の女性が商品を背負って日陰に休んでいた。あいにく南部の青年が通りかかり{エーニ―セカサギラチトラセー}南部の青年は性交渉を意味すると感じた。伝え話がある。ブラジルに移住した沖縄人は二世が誕生して使われた会話は沖縄語とポルトガル語で多くの沖縄二世が沖縄語を理解できる、。沖縄本土でなくなった沖縄語も残って居る。その例がチキジ「マッチ」の事亦布団のことを「ウ‐ド」の言葉は沖縄でとっくに消えたのが残って居た2012年八月二十五日 真一。

2012年8月12日日曜日

随筆 二つの国を考える

現在置かれている日本社会とブラジル社会を想い浮かぶままに記して置きたいので何時か参考になるかも知れないのです。日本の事は直接私の生活に関係するのではないけど、
祖国なので自分の後ろ盾として健全であってほしいと願うのです。
現在の日本は八方塞がりの観がする。70年代世界一を誇った生産力が停滞して生産コスト世界一で安くて輸出を誇った時代もあった。現在はコスト高で他国に押されている。ただ質の面だけは外国も認めている。
重要な問題も国民は意見が分かれて政治家は決断を下しかねている、原子力発電にしろ、消費税引き上げにしても意見が分かれて政治が混沌としている。過去を顧みて軍国主義が実検を握る前のように国民は民主主義が世論に押された時代があって、思想家や哲学者が議論を交わして、生命が脅かされた時代があった。現在は思想家や哲学者は見当たらない。国会議員がもっと国会で日本の進むべき道を議論いて欲しい、現在の議員は次の選挙に生き残れることだけを考えているようだ、現在日本が抱えているいろいろの問題も戦後アメリカの自由主義を主体とした生活が日本国民は啓蒙して取り入れてきた。日本人の伝統的習慣は若い者に取り入れられず、老人たちは親子とも暮らすことが出来ず、尚アメリカ式の夫婦でも愛がさめたら離婚することまで取り入れているのです。今一度日本人が受け継がれたものの考え方を取り入れたいように思われる

次はブラジル国
ブラジル国は私の住んでいる国で色々の政治が直接私の生活に結びつくので関心は高い。私の子孫の将来もあるので良い国家になって欲しいと願うのです「。勿論生活しては遥かに日本よりは良い。治安は日本のようにはいかないけど。地方に住めば別に危険に会うことはない。日本の災害に比べれば暮らし易い。ある程度の老年金を受け取る人なら健康保険に加入もできて医者や検査を受ける事が出来るから健康は安心して暮らせるのです
日本と比較して交通機関が発達しておらず,殆どが道路にたよっていて物資の運送に経費がかかるからです。1500キロの農作物を港まで運ぶのに港から日本の方が安いとのこと亦工業用の電気料金が韓国の五倍もする。港の整備も遅れてコンテナでトンあたり韓国の五倍の料金になるようです。これでは輸出するのに太刀打ちできない。自動車生産でも鉄鉱石をブラジルから輸入して造った鉄板が輸入しても国内品より安くつく状態でコスト高。インフラ設備が整わず生産者が背負うことになる、このような状態も政治家は国会で議論することなく。目の前の問題と政治家同士の駆け引きに明け暮れているのです。ブラジルも国民が議論して報道機関が関与して欲しいのです、勿論思想家や社会学者も見当たらないのは悲しい想いがするのです。
2012年8月5日  国吉真一