2011年5月8日日曜日

コーヒー栽培

ブラジルに移住して以来、今日までコーヒー栽培に従事している。
コーヒーの歴史を辿ると、アラビアが原産地で、オアシスの木の陰に自生していたと伝えられている。初めアマゾンに移植され、南下してリオ州で大々的に栽培され世界的に知られるようになった。そ
の後、サンパウロ州全体で栽培されてブラジルの輸出産業となり、ブラジル国内の第一輸出品となった。サンパウロ州では大地主達が
コーヒーで利益を上げ、国王より貴族の称号を与えられた。現在でもその屋敷が数多く残されている。第一次大戦後、世界大不況が訪れコーヒーは売れなくなり、川などに捨てられたようです。それ以外にもアフリカ人の奴隷労働者に頼っていたのが奴隷解放後、イタリア、ポルトガル、スペインなどから外国移民を入れ始め、最後に日本人が受け入れられた。殆どの日本移民がコーヒー園で働いた経験を持っている筈です。
コーヒーは殆どが発展途上国によって栽培され、先進国で消費されていて嗜好品とされ、その価格は生産者から消費者に渡るまでには百倍にもなっていますが、ブレンダや宣伝により世界で愛好されるようになっています。
昭和の初めには、 一杯のコーヒーから、 という歌まで流行り、日本に宣伝されたようで、コーヒーを飲むことがひとつの贅沢だったようです。
1950年代には高値で取引され、コーヒー豆100俵でトラック一台買えました。その後、北パラナ一帯が肥沃な土地に加えて一大生産地となり、世界的に生産過剰になったので、国家の保護のもとに補償されて生産されていました。買い上げたコーヒーが国の倉庫に眠り、一時期は焼き払ったことさえあった。その後政府の保証はなくなりコーヒーも世界市場原理の下に価格が動くようになった。
サンパウロやパラナ州の生産量は減少し、代わりに新しい品種と新しい技術による密集栽培で集約的に生産高を上げ、今日に至っているのです。この4、5年不況に遭いましたが、現在は良くなっています。
今ではミナス州が大生産地で、パラナ州は3位に留まっているようです。❀

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