2011年5月8日日曜日

自然とリスク

農業者は常にリスクが伴う。50年余りの間に何回となく自然のリスクを受けてきた。種を蒔き、見事に生え、今度は良い収穫が得られると思っていると、一ヶ月経っても雨がなく日照りが続き、作物が萎れるのを見ると胸が痛む。こんな時は天を仰いで、神様どうか雨を降らせてくださいと祈るのです。人間は勝手なもので、日ごろ神を信じなくとも神にすがるのです。
このような時は農業が嫌になり、町で自然に頼らずに暮らす人を羨ましく思うのです。けれども時が経つと、不作すると値段が良くなり、何とか穴を埋めて痛手を受けずに済むのです。ひとつの作物が悪ければ別の作物が良く、例えばコーヒーの値段が良くて穴を埋めることもよくあります。別の人のように痛手を受けずに済んでいることは有難いことです。
ある人に、貴方はえらいもんだね、たくさんの子供を大学へやり、お母さんを二度も沖縄訪問させ、なおあなたも四度故国を訪問し、どこからお金が出てくるの、珍しい、と言われました。私自身にもいつも銀行からお金を借りて農業してるのに不思議です。それをお金にすると、きっとある程度の資産が買えたのではないかと思うこともありますが、世の中そうは行かず、あの時使わなければどこかで無くなっていた筈です。また資産を買ったとしても、それ故にいろいろな問題が生まれ、頭を悩ましたかもしれない。お金儲けばかりを考えると何処かで人間性が失われ、今の自分ではなかったかもしれないのです。
今度もトーモロコシを植えましたけど、一ヶ月経っても雨が降らず虫が発生し、駆除に苦心しているのです。今年は値段が良いからと高い種を買い、肥料もだいぶやり大収穫を予想していた矢先です。
もう歳ですし農業をやめても良いと思うけど、時が経つとあのときの苦労は忘れて、雨が降ると作物は持ち直り、未来に望みが持てるようになります。これが農業者の生きる原動力となっているのです。また反対に雨が多すぎ、蒔いた種が深く埋もれて生えきれず、植え直すことも何度かありました。それでも北伯のように半年も日照りが続き、飲む水さえないのに比べると有難いことと言えるでしょう。雪が降ることもなく、突風に巻き込まれることもなく、木はいつも青々と茂っている。世界的に地球が温暖化して、その影響が大陸に現れていると思われる。
自然の力にはいかに科学が発達してもかなわないのです。
2002年11月23

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