2014年7月13日日曜日

随筆

大事 小事 人間が生きて暮らしていく上で、常に判断に迫られるのが大事と小事である、 小さい事を重くみて、大事な事を見失ったりすることがあるのです、過ぎ去って後で気がついても過去の事で、もはや取り返しはつかない、 だからと言って、いつまでも思いつめると、小事が大事になってしまう。年を重ねて経験を積めば大事にいたらづにすむ事が良くある。私達は失敗をすると精神が震えてしまう。時間がたつと落ち着きを取り戻すのです。ちょっとした隙に泥棒が入ったり、又は事故を起こしたりするのです。そのようなことでも体験を積むと、わりあい平静でいられるのです。 人々から信頼される人はきっと物事を判断する 知識を身につけている事でしょう。経験を重ねて得た知識なのです。このような人物は判断に迷ったとき人々から意見を求められるのです。特に家族の争いや意見がまとまらない場合はやはり信頼する人の判断を仰ぐことがある。人から信頼される人の事を沖縄の言葉で『ものしり」と呼んでいる。またジンブナーの言葉もあるけど。この言葉は利口者に例えで、金持ちになる可能性はたかい。「ものしり」は家庭の環境から子孫も「ものしり」になる可能性はたかい。然し金持ちになると言えない。人間の才能や性格は育つ環境によって養われると言われているのです。六年前一度に二台のトラクターが盗まれた事がある、農業するに於いてトラクターは重大事です.その時は落胆のあまり農業をやめようと思っていた。幸いにバンコ ブラジルから安く融資を受けて新しいより能率なトラクターを買う事ができた。その後は順調に支払う事が出来た。今思えばあの時の大事は小事であったのです。農業はよく災難にあう、その場面では落胆のあまり農業を諦めようと思うけど、時がたてばつい何の事もなく過ぎてしまい、小事であることを感ずるのです。大は小を兼ねると言われている。子供の服など日々成長して狭くなるので、つい少し大きいのを買ってしまう。 僕が中学生の頃国語の本に大事小事のことがのっていた、あの頃は人生に大事な言葉とは理解しなかった テレビや本を読んで感動して涙がでることがある、そのような時は夜寝床に入っても興奮して眠れないでいる。それでも翌日は気持ち良く 働く意欲も出てくる。医学上の説明によると脳の中には、あるホルモンがあって感動した時に、寝てもそのホルモンは働いて増えていき人間の体によい作用を働くようで、体に意欲が現れいつも若さが保てるそうです。反対に小事な事に気を重くするとうつ病になり、食欲が減退して眠れぬ夜が続くと言われている。精神面で安定した毎日を送るのも大事なことだと思っている

随筆

大事 小事 人間が生きて暮らしていく上で、常に判断に迫られるのが大事と小事である、 小さい事を重くみて、大事な事を見失ったりすることがあるのです、過ぎ去って後で気がついても過去の事で、もはや取り返しはつかない、 だからと言って、いつまでも思いつめると、小事が大事になってしまう。年を重ねて経験を積めば大事にいたらづにすむ事が良くある。私達は失敗をすると精神が震えてしまう。時間がたつと落ち着きを取り戻すのです。ちょっとした隙に泥棒が入ったり、又は事故を起こしたりするのです。そのようなことでも体験を積むと、わりあい平静でいられるのです。 人々から信頼される人はきっと物事を判断する 知識を身につけている事でしょう。経験を重ねて得た知識なのです。このような人物は判断に迷ったとき人々から意見を求められるのです。特に家族の争いや意見がまとまらない場合はやはり信頼する人の判断を仰ぐことがある。人から信頼される人の事を沖縄の言葉で『ものしり」と呼んでいる。またジンブナーの言葉もあるけど。この言葉は利口者に例えで、金持ちになる可能性はたかい。「ものしり」は家庭の環境から子孫も「ものしり」になる可能性はたかい。然し金持ちになると言えない。人間の才能や性格は育つ環境によって養われると言われているのです。六年前一度に二台のトラクターが盗まれた事がある、農業するに於いてトラクターは重大事です.その時は落胆のあまり農業をやめようと思っていた。幸いにバンコ ブラジルから安く融資を受けて新しいより能率なトラクターを買う事ができた。その後は順調に支払う事が出来た。今思えばあの時の大事は小事であったのです。農業はよく災難にあう、その場面では落胆のあまり農業を諦めようと思うけど、時がたてばつい何の事もなく過ぎてしまい、小事であることを感ずるのです。大は小を兼ねると言われている。子供の服など日々成長して狭くなるので、つい少し大きいのを買ってしまう。 僕が中学生の頃国語の本に大事小事のことがのっていた、あの頃は人生に大事な言葉とは理解しなかった テレビや本を読んで感動して涙がでることがある、そのような時は夜寝床に入っても興奮して眠れないでいる。それでも翌日は気持ち良く 働く意欲も出てくる。医学上の説明によると脳の中には、あるホルモンがあって感動した時に、寝てもそのホルモンは働いて増えていき人間の体によい作用を働くようで、体に意欲が現れいつも若さが保てるそうです。反対に小事な事に気を重くするとうつ病になり、食欲が減退して眠れぬ夜が続くと言われている。精神面で安定した毎日を送るのも大事なことだと思っている

2014年7月5日土曜日

平凡

通常とおり朝五時ごろ目がさめているけど,寝床に入って夜の明けるのを待っている 別に約束の時間もないので今日一日をどのように過ごすか考えている、特にプランがあるわけでもない。、以前は七時には農場の仕事があるので無理しても起きていた。妻は朝食の支度のために先に起きた。夜が明け始めたころ起きて朝の食事をする。 夕べはぐっすり眠ったので気持ちのよい一日が始まる。食卓には二種類のパンとミルクとコーヒーそして果物のサラダが置かれている、以前に比べたら贅沢をしているのです。田舎に住んでいる時は朝は唯コーヒーだけ飲んで仕事に出かけた、でも今はこれが平凡な家庭の暮らしとなっている。 若い頃は食欲旺盛で何でも食卓にあるものは平らげた。年とともに食欲は衰えている。それだけ働かないので,カロリーも必要ないわけだ。今は時間に縛られないので朝の食事後はテレビでブラジルの二ュースを見て,日本の二ューすも聞いてから、インターネットで天気予報を調べるのが日課となっているい 、IPEDから新聞の社説や読者の投稿などを読んでみて政治の判断をつかむ。自分の生活に直接関係はないけど自分なりの意見を持ちたいと思っているからです。 ブラジル国は軍事革命以後平和を維持しているけど、民主主義の現状ではあまり発展は望めない、何か革命でも起きない限り政治改革はありえないと思うようになった。それでも平和が維持されて毎日が平凡な暮らしが出来るのは幸せな事かもしれない。 幸せとはいったいどの程度の満足感を表すのか判らないけど。平凡な暮らしも幸せだと思っている。突然宝くじが当たり大金 が入り込んだとき、または突然思わぬ遺産相続にありついたときなどはあたかも、幸福の絶頂にあるような錯覚を起こしますけど、平凡な日常を狂わすだけで、場合によっては不幸をもたらす原因にもなりかねなと思うのです、楽しそうな旅行でも日にちが重なれば家に帰って平凡な暮らしがしたいのは当然です おいしいレストランの食事でも毎日になると、つい家の味噌汁が恋しくなる。健康で飢えることなく過ごせる、平凡が幸せなのは当たり前だと思っている、私自身が療養生活を送っている時、歩くことの出来る日常が恋しかった。いざ歩ける様に健康が回復したら,そのありがたさが忘れている。一日を無事に過ごし夕暮れに寺院の鐘が鳴り、アヴエマリヤの賛美歌が聞こえると、平和な自分の存在に、神様に感謝せずにはいられない、このような時は幸せを感ずる。なに事も起こらない平凡な日はつまらないようにも思われるけど、知っている人が病で入院したり、あるいは事故にあった話を耳にすると、その家族の不安におののく姿を思い浮かべて、自分の家族が平和で平凡な一日を過ごした事を考えるだけでも幸せだと思うのです、昨夜は夜八時ごろ寝ていたのに表で、手を叩くのが聞こえた、妻は窓を開いて用事を聞いたら、夕食にあり付けないので恵んでほしいと願っていた、妻は残りは犬に与えて何もないと返事をした、通りすぎると胸が痛んでならなかった。面倒なのでつい断ったに過ぎない、 私の住む通りはロドヴィアリオの近くで、よくその様なことがあるのです、胸が痛むだけでもまだ自分に良心がある事も、平凡な人間であることを感ずるのです。平凡な一日に色を添えるのに 俳句を作るのもまた幸せのような感じがするので,  次の俳句を作って終える 今日も   平凡に過ぎ    しあわせだ 道ばたに  イッぺー花咲く  冬景色 人生に    花さかせるる     俳句かな    20 14年六月三十日