2013年7月7日日曜日

農業と体調

農業は続けたいけど体は年々衰えている中で、いつまで続けられるか疑問が残る。まず目がはっきりと見えず来年の目のメガネを変えて、免許の検査にパスするか問題だ、運転出来なければ農場に通うのも不可能なので、三者に借地に出すほかない。勿論自分の働き場所もない。農業を通じて多くの同僚と会う機会が在って、いろいろの情報や話題が掴めた、この様な訳で仕事場は自分が第一線にいることが最上だった、それでも、借地に出す準備は着々と住んでいる。今年は雨が多く六月一杯で終わる収穫が今だに残って居る。その後はコーヒーの木を抜く作業だ、機械でやればはやく済むけど有機物肥料が失われるので人手に頼っている。残すのは僅かの若いコーヒーだけで使用人の仕事を残す事になり、いずれは解雇する立場にある、今日までの農業を支えて来たのがコーヒ-なので、まだこの街で最後まで残ったのが、僕と隣街の従兄弟の勇だけとなる。祖父の代から続いたコーヒー栽培なので愛着もある。またコーヒー栽培だから多くの子供たちを育て、大学までやる事が出来たとも思う、農業は自然の影響を受けやすい。現在の六月一杯毎日雨で収穫できず、労働者にとっても収入が無く困っていることを思うと胸が痛む、長い年月の農業で何回も計画のとうりに進まない事があって、ふり返ってみると、すべての出来事が懐かしい、総ての果実栽培は人手が必要で機械化はなかなか難しい、それは適当に熟したほど甘味があり上質の商品が得られるからです。それでもある程度の機械化は進んでいる、自分が進歩した農業方を取り入れ、経営するだけの年齢と後継者がいない事が原因である。