2011年5月8日日曜日

協同組合

私が協同組合に関わるようになったのは30年前のこと。まず4Hクラブに関心を持ち、理想的な農業経営を考えていた頃だと考えられる。
組合の総会で、私は組合の理念は組合員の発展が目的で、組合の発展は二次的であることを訴えました。その頃は誰も異議を申すものはありませんでした。それで役員の言うままになっていたのです。
70年代の組合は、銀行からお金を借りて建物やサイロなどを建てていたのです。インフレにより返すことは容易だったのです。なんでも設備すれば、それは組合の資本に繋がったのです。その後、銀行の利子もインフレ率が加算され借金は膨らみ、組合員の作物を売って支払っていたのです。組合員の作物が不足するようになり困難に至ったのです。私も責任上役員から出ることができず、2001年まで務めたのです。私がサインした手形が25年まで残りますけど、そのゆえに組合が続けられるので、農業者は安心して組合を経営することが出来ます。自分としても農業者のためになったと思っている。
私は常に組合はただ経営を続けるだけではなく、負債が返済可能かどうかを判断し、不可能なら別の組合との統合を考えるべきだと思っていました。負債を大きくして組合員に迷惑をかけるのはよくないとの意見でした。幸いにもインテグラーダ組合が借り受け、返済可能の見通しがつきました。インテグラーダはパラナでも7番目に大きい組合で、ブラジル銀行からも信用があり融資を受けるのも容易で、農薬や種や肥料も安く組合員に配ることが出来ます。また収穫まで作物と交換することも出来ます。
このようなことは農業者にとって大切なのです。小さい地域の組合では、大きく資金のある外国輸出業者とは競争できません。今後も組合の統合は行うべきです。

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