2013年2月11日月曜日

随筆  老人の心境  国吉真一


今年八十歳を迎える。自分の身体に別に去年と変化は見えないけど、なぜか区切りをつけてしまう。自分の終幕に一歩近づいたのだと自分に言い聞かせている。ある友人は遺言書を書いてあると言われて、はて自分に、もしもの事があった場合、家族が迷わない為にも、よい事と思っている。まず自分が突然意識不明になった場合を想定して何が困るのか考えてみた、個人預金が引き出せないのでお金に困る。そのために預金名義を二人にした事。生命保険や株所有や組合関係のカピタルなどは知らせておくなど、遺言書には意識不明になり植物人間になった場合には無理な生存をさけて生命を断ち切るなどを記しておいてある。けど法律は許可されてないようです。また財産処理は法律に従うことなども書いてある。周囲を見回しても。九十歳になっても元気な人も多いので自分もあるいは生きるかも知れないとも思う。大変元気な知人が突然の病で死んだのもおれば、若い頃胃袋を切開して手術しても見込まれないと、医者が縫い留めて現在も生存しているのもいて、生命の不思議さを感ずるのです。若い頃は人生の生き方に、また目的に疑問をもって生きてきた。多くの人びとの様になんとなく生きてきた。与えられた社会の常識をわきまえて生きてきた、社会の枠組みに入って結婚し子どもを産み育ててきた。要するに社会の発展に加わった事になる、今まで人生であらゆる体験をしてきた、脳の中にはその記憶が詰まっている。思い出す事はごく僅かで殆どが眠って蓄えてある。私自身の性格や知識もその中から生まれたものだ。取り出して若い人に分け与えたいとも思う、その中にある人間の喜怒哀楽や情緒豊かな経験や書物などから得られる感動は人間だけが持つもので、精神的に年と共に培われる見えない所有物だと思うようになった。多くの書を読んでの感動や、生きている意義や多くの思想家が残した名言など、自分を養ったと思う、誰もが持つ優越感や見栄や自尊心と名誉などは死が近づく老人には意味を持たない。ただ家族の安泰や社会の平和を望むだけです。何故長く生きたと思うのか。考えてみた。長く生きた人は社会の移り変わりを見てきた歴史の証人だといえる。許されるならば自分も証人でありたいとの希望は持って居る。百歳過ぎても働く医者もいて。日本の農業は老人が支えているので自分もまだ役に立つと思っている、日課として農場の管理や毎年の収入と支出を管理して書き留めて、利益の少ない作物と手間のかからない作物に転換していくことを計画的に行っている、午後はパソコンと向き合い過ごすことが多い、毎日が張り合いのある日々と思っている許す範囲で旅行もしている。
終り