2011年5月8日日曜日

移民95年

今年は日本人がブラジルに移住して95年になるそうです。
移住者の中にはいろいろな人物がおりまして、大学卒から無学までいて、私の祖父も無学でした。祖父の時代は、土地の多い農家は人手が必要と、明治時代はまだ沖縄の風習を守る家庭が多く、日本の学問を習うことに抵抗があったようです。
日本人の無学はブラジル人の無学と比較して、だいぶ開きがあるようです。日本人の無学は村や社会からいろいろなことを学んでいまして、ブラジルへ移住して言葉がわからないことはみな同じで、労働に耐える体力が大事のようでした。その点においては祖父は立派な体格で、ブラジル人からは大国吉さん(Kuniyossão)と呼ばれていました。また言葉を覚えるのも大して変わりはなかったようです。祖父は体力で稼いだお金でいち早く土地を買い、タクアラに沖縄人の植民地を造り、日本語学校も建てております。それには自分は無学ですけど、子供達には学問をさせたいとの思いがあったのではないかと思われます。特に沖縄人の中には日本で先生をなされた小波津喜寛さんが住んでおりまして、その人の影響があったようで、それ以外にも国吉真保さんが師範学校卒、また久場ドットールがおりまして、沖縄植民地には教育への信念が強かった感がいたします。
その影響があって、50年も前、多くの二世達がクリチーバやサンパウロに学んでいました。その中に医学生の小波津敏男、小波津幸助、呉屋盛智、金城パウロさん、それ以外にも歯科や経済などに学んでいました。その点を本土の人たちと比較した場合、大きな開きがあったようです。いずれお金を貯めて日本へ帰るつもりの人たちがブラジルの学校へ進学させたでしょうか。沖縄県人は日本が敗戦したので、ブラジルに永住する覚悟を決めたのです。
そのような沖縄県人の教育熱心さは二世三世へと受け継がれて、カンバラは沖縄人の大学卒の多いのでも知られております。沖縄本土と比較しても多いのです。
無学の移民で移住した祖父の五代世代の70パーセントが大学で学んでいることを思うと、ブラジルへ移住した祖父母も成功者といえるのです。孫の一人として尊敬の念を抱くのです。

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