2011年5月9日月曜日

思 い 出

私が小学四年のころ金武から伝道師が来て、キリストのお話をなされ賛美歌も教えられたのが始まりでした。戦後まもなくアメリカの兵隊さんがキリストの話をしてくれた。その後ブラジルに来て「成長の家」の本を読み、聖書について少しは解るようになった。結婚するとき殆どは教会で儀式を挙げますけど私は結婚だけのためにキリストの洗礼を受けるのは気持ちが許さなかった。宗教は尊いもので、深く内容を知る必要があった。
ある時、結婚して26年にもなっていた頃、カンバラの町にエンコントロ・クリストのモビメント*があった。その4回目に安勝と八重子に誘われて仲間に入ることになった。初めは好奇心からなかに隠されている何ものかを暴いてやる気持ちで参加した。しかし、思ったとは反対にいろいろ考えさせられることが多かった。
夫婦についてでも今までただ働き子供を育て夫婦の義務を果たしているだけのようでした。妻の気持ちやお互いに話すことも少なく、妻に対する思いやりがなかった。妻の千代は私にとってよく出来た人で、母の言うことを聞き、自分の思うような家庭を作ることは出来なかった。それでも我慢していた。母もよく子供の世話をしてくれた。そのときにこのようなモビメントは私の眼を開いてくれた。
思えばのぞみが一歳のとき、高熱を出し医者へ連れて行ったとき、私は神にすがった。どうか娘を助けてください。たとえ自分の財産がなくなってもよいからと祈った。自分ではどうすることも出来ないとき全能の神にすがるのです。本当に人間は弱いものです。

千代は沖縄人特有の性質を父母から教えられた。嫁いだらその家に従うのだと教えられた。それをよく守り家庭は平和であった。
長女がクリチーバで勉強するようになり見事国立大学へ入学することが出来た。続けて次女、三女、四女、五女と入学した。のぞみと美津江、それに操はそれぞれ良い人と結婚してその家庭に気に入られている。のぞみは夫の母の面倒も見ている。ただ七女のすみれが18歳のとき白人学生と仲良くなり健三が生まれた。一時私たち夫婦はなんともやりようのない思いで私の母の若い頃を思い出し嘆いていましたけれど、協力して育てることにし、働きながら大学を卒業することが出来た。思えば移住して9人の子供を大学にやりうるとは自分でも確信できなかった。孫たちは現在小さいときから私立の学校へ通い学んでいる。将来が頼もしく思われる。移住して子孫の繁栄こそ本来の意義があるのです。

*編者註 エンコントロ・クリストのモビメント:カトリック教義に基づく夫婦を対象とした集まり。座談会、体験発表、講演などが行われる。

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