2011年5月9日月曜日

大 事

「大事小事」、この言葉は中学の教科書にあった言葉で、学生の頃は言葉の大切さはあまり知らなかった。仕事の上でもまた人間関係の上でも大切であることがわかってきた。仕事の上では小さいことに拘り、大きなことを見失ってしまうことがよくあります。例えば小さい魚で大きな魚を釣ることも意味は同じ大事だと思われる。
今日の農業経営はお金をかけてやる仕事です。リスクも伴います。尚大事、小事を見極める判断が必要です。仕事の上で発展している人は失敗もあったと思われます。小事を捨てて大事を生かすゆえだと思われる。
今年作物は順調によく伸び、稀に見る豊作が予想されていたのに実を作り始める頃に一変して雨が40日も降らない。南部一帯は大不作となり50パーセントの減収が見込まれている。その影響は農村ばかりではなく町全体に影響を及ぼす大事なことです。しかし農業者は何度も経験しており、日本の地震や大雪、東南アジアの津波に比べれば比較にならぬほど小さいことで、時が来れば忘れ去れる。自然の災いは私たちの力でどうすることも出来ず、忘れた頃にやってくるのです。
人々の争いに於いても、あまり小事に拘り大事を見捨てることがよくあります。例えば、親子関係の争いでもお互いに意地を張っていることがよくあります。まず自分が正しいんだとその根拠を並べ立てます。それはまるで弁護士が争いに勝つ為に法律的に正しい根拠を主張するのに似ている。そのことは客観的に見ればよく解ります。争うお互いには気が付かず、自分の正当を押し付けようとすることも小事を捨てて大事を生かすことを知らない故だと思われます。特に親子関係ですとお互いに愛しながらも歩み寄れず、意地を張っていることがよくあります。争うことは不調に終わった場合は何時までもわだかまりが残り、不快な思いで過ごすのです。そのことに気づき、自分から進んで歩み寄ることの出来る人は、大事小事を理解できる人なのです。その後の心の晴れ晴れさを味わえる人なのです。そこには人格があり、博愛があり、キリストの愛があります。人間を幸せにする条件でもあります。

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