2014年9月20日土曜日

随筆   人間
動物の中で人間ほど複雑な生き物はない
生れた時から社会に出るまで、動物の中で一番弱く、両親の保護がなければ生存不可能だ、其の為に憲法でも両親の子弟保護を義務づけている、動物は生まれるとすぐ歩く事が出来る、人間はやっと一年で歩き出す。歩きだしても誰かの手をかりて食べることが出来て。生命を維持するのだ、生きるためにも徐々に教え込まなければ生きていけない、社会の一員としての掟を教え込み頭の発達に応じて教育を受けねばならない、
小学年の頃はむりに教えるのでもないので多くの子供は学校生活を楽しく過ごすことが出来る、高校生になると体は大人並みに成長して性もめざめて苦悶してもてあます。その反面遊びにも夢中になり学問は無理に詰め込むので嫌気がするのが殆の学生だ
年を取り学生時代を振り返って、友達と遊んだことの記憶が頼もしく。勉強は苦しい思い出となっているのが記憶にある。
現代の社会の枠組みの中で働き、年を取り
老人になり恩給生活して思い出すのは自分自身がよくも頑張ったものだと思う
また社会の落ちこぼれにならずにすんだのも、ほっと安心するのです。
平凡な老人は皆僕と同じ感想を持ち合わせているでしょう。なんと人間は複雑な生態なのでしょう、原始の時代は生存のため他人を殺すのは平気だった。それが部族生存の為、他部族と争って生存してきた、部族が大きくなって国を表し国の隆盛のため戦争もやっていて。今でも戦争は至る所で行われている、なんて人間は複雑なのだろう
これも人間が進化した証と言えば理解するしかない。動物の中でも寿命の長いのは人間で、他の動物は僅か一周間の生命しか無いのも多い、中でも昆虫は長い間冬眠してやっと地上にでる、その後も殻に閉じこもりやっと蝶になり

空を羽ばたき生命を謳歌して花から花を飛び回り、雌と雄が出会い交尾して子孫を残して生命を閉じる、複雑な生命をたどる。昆虫はどこか人間と似た所があって、苦労に苦労重ねて家族を養い子孫を増やし、やっと老人になり、生活にゆとりができたけど、体は若い頃の様な生命力は持ちえない、いくらかの資産もあると、相続に揉めるのではないかと、在る故の心配も起こる、できれば夫婦の老後が保証するだけの預金画あればもっともよいのだけどインフレのくにではそれもおぼつかない。考えて滅入るより、悟りを開いて人生を謳歌するが良い。終り二千十三年九月十七日真一

2014年9月14日日曜日

我が人生

自分がどのような人間であるか考えてみた。他人の事は良く目に着き。徹底して分析するけど自分を分析するのは難しい 医者の診察のように体は観察できても僕の性格や心理状態を分析するのは出来そうにない。まず自分で分析して妥当な点があるようにも思われるけど正当とは思われない、自分贔屓があるからです。 自分でも運の良い人間だと思っている、まず農業用地が地形良く、霜や災害にあった事がない。失敗もあったけど作物が良く取れた。 値段も割合に良い値段で売っている。また良き妻に巡り合えた事も運がよいと言えそうだ、女性から好かれることは自分なりに良い点が無ければならないと思っている。良い点とはまず知識がある事。思量深いこと。思いやりのある事など、 知識は努力して得られるので、知りたい意欲が旺盛であったと思う。常にあらゆる本を読んでいた。自分でもせっかちな性格だと思っている、早く仕事を終わらせて、また次に挑む状態が今でもある。何もせずにいる時間が勿体なく思われる。また働かずに食べる事は人に養われているとの原理 が根づいている、また食糧は自分で生産するのが当たり前だとも思っている。原始の時代には皆農作物は自分で生産した、役人が生まれて食糧が商人の手をえて消費者に渡り、硬貨が流通の役目を果たした。時の過ぎるのを待つのは無駄に過ごしたと思われてならない、 例えばコップを取るにも手を棚に向けると、目は早や水のある場所に向いている,字を書く時に頭に描く字が手は別の字を書き始めて気が付くことがある。次のようなエピソードが残って居る。隣の家に大きな綱を借りに行った時、帰りに野菜を頂いた。綱をおいて野菜お受け取り帰りを急いだ 途中で大事な綱を忘れた事を思い出し、野菜をコーヒ―の下に隠しておいて綱を持ち帰った。仕事も終えて、戴いた野菜はとっくに忘れていた。 ある時コーヒーの草取りにその野菜に出会った、多分一か月も過ぎていたようだ、忘れていた事が思い出された。穀物も先を読み売ることがあり 損することがある、いつもシカゴの穀物先取引を読んでいるけど当たる率は少ない、 妻が二世であった事も運があった事と思う、妻との会話の理解を深めるために、ポルトガル語に熱中した事が。同じ移民の中でも言葉が理解できると思っている、妻との会話はすべてポルトガル語で子供の教育にも妻は役立っている、ちなみに九人の子が国立大学に入学出来た。ただし子供の日本語は不自由を感じているようだ、外国語を覚える感覚は娘にも遺伝したようで、自分で勉強した英語が北米旅行に役立っている。また沖縄の言葉も覚えようと努力しているのは微笑ましい。今でも理解できないポルトガル語は辞典を開いて頭に詰め込むことがある。私のメールの友の南さんも ポルトガル語が詳しいようですけど、やはり妻が二世の故でしょう。小さい時から何かに熱中すると本来の役目を忘れてしまう事が良くあった。 海で泳ぐのに夢中になり新しい学生服が波にさらわれたり、郵便局に使いに行って相撲に夢中になり、お金を無くしたり思い出せば幾らでもある。 それでも運よく今日まで生きてきた。人生は不思議なのです。