2011年5月8日日曜日

幸徳さんへの手紙  -書簡-

  幸徳さん、サーラさんお別れ後もお元気でしょうか。なお勇さん家族もお元気でしょうか。ブエノス旅行の時はサーラさんもてなしの食事をご馳走になり忘れることが出来ません。
 さて、光子さんよりの宜野座村の50年史を妹のツルコが、11月1日はブラジルではお墓参りしますので持ってきてくれました。早速読んでみてアルゼンチンの移民の歴史を知ることが出来ました。ソケイの仲間平助さんはじめ多くのソケイの人々が戦前移住なされ、沖縄とかけ離れた良い生活をしていたことが伺われます。その当時のアルゼンチンは第二のパリと呼ばれて、ヨーロッパの文化を謳歌していたようですね。しかし若くして望みを果たすこともなく、病に倒れた方も多いようですね。このような犠牲はブラジルも同様です。戦後移住者は犠牲も少なく、早く生活の基盤を築くことが出来たのも先輩のお陰です。よって先輩に敬意を表し、50年の歴史を
残すことは偉大なる意義があります。幸徳さんが率先して、またアルゼンチンにはソケイの知識人が多く、陰の力になったお陰だと小生は思っております。知識人の移住者がこぞって子弟の教育に力を入れ、おおくの二世の方々が最高学府を出られて社会で活躍していることは、移住者の本来の姿であり、成功者と名のり得るでしょう。
 幸徳さんとの若い頃の話が出て、殴られたことを話し謝りましたね。私は若い頃が懐かしく、対等に付き合える年齢になりました。今思うと、幸徳さんはあの頃複雑な家庭にいて、心苦しく生きていたのではと思われ、不良じみに走るのも当然のような気がします。アルゼンチンでもきっと同じように、複雑さがあっただろうと想像します。それを乗り越えて人と付き合うことを体験し、多くの知識人のリーダーとして活躍なされていると感じられます。
 外国にきて沖縄では体験できない多くのことを私たちは体験から学んできましたことは、お金には換えがたい財産だと思います。
 今後ともご家族共々、またソケイの皆様もお元気で活躍なされることを祈っております。
2003年11月10日

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