2011年5月9日月曜日

二つの文化に抱かれて

私は文化は求めるものではなく、与えられるものだと思います。私の言いたい文化とは芸術や音楽、絵や踊りではなく、ありふれた物事の価値観や人生観を評価するときの尺度です。70歳を過ぎいずれ消えゆく自分ですが、何かを残したいと思って書いているのかもしれません。
私は日本の本を読むのは極めて少なく、唯一「のうそん」だけかもしれません。しかしポルトガル語の新聞を取り、社説や経済のことも解るようになりました。子供たちとポルトガル語で議論することも良くあります。そのとき感じるのが日本人の尺度とブラジル人の尺度です。このことは二世の間で多く読まれている臣道連盟の本についての印象も、出稼ぎに行っている二世と日本人の問題でも尺度の違いだと思われます。物事を評価する尺度はその人の育った環境にも拠ると思われる。例えば私がある人をケチだと評価します。その人からすれば自分もケチだと言われるかもしれません。
また自分の家族を紹介するとき、ブラジル人は事実以上に褒めて紹介します。しかし日本人はその反対を礼儀とします。日本人は人前に出るときあまり目立たないように心がけます。しかしブラジル人はその反対を取ります。日本人は困っているときに助けてもらった人に何時までも恩にきます。恩を忘れる者は日本人の道徳を守らぬ恥知らずとして軽視されます。ブラジルでは宗教の違いで、神が助けてくれたと考え、神がお返しするとの教えを持っています。ほとんどの一世は長男にみなで築いた資産を与え、娘は同じように働いても与えられず、世間体を重んじて収まっています。これはブラジルの尺度では考えられません。
二十一世紀はI Tの時代。グローバルの時代。世界の国々の人が国境を越えて交わる時代です。
私の娘の働いている多国籍企業は各国のエンジェニェィロを雇い、会社の製品がどこへ出しても通用するようにとの考えで造っているようです。日本の国民が日本の尺度しか持たず、グローバルの時代に適用しうるでしょうか、気がかりです。
私はブラジルに移住し、成長し古い大木となりました。なかの芯の部分は硬く日本人の黄色い部分でできています。外側は大きく柔らかくブラジル人の気質からできています。
そして若い木もたくさん生まれました。その若い木も中身は私に似て黄色い日本人の気質を持っております。


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