2011年5月9日月曜日

50年後のふるさと

ふるさとは何時になっても懐かしい。ふるさとの友達や自然を思い浮かべない日はない。まるで私の生きる原動力でもある。今日まで海外で自分の生活を支え子供の将来を思い、出来るだけ節約して高等な学校へやるために働き続けたエネルギーは、すべてふるさとから持ってきたものである。それも50年も燃え続け、残り少なくなっているのです。
ブラジルは世界各国の人々が住んでおり、イタリアやポルトガル、スペイン、ドイツ、オランダ、ロシア、アフリカと自分の国の文化を守りながら次の世代へと受け継がれ、仲良く暮らしております。ブラジル独自の文化は見当たらず、沖縄のチャンプルのように混ざり合っております。殆どのウチナー人は独自の文化、祖先崇拝、つまり亡くなられた移民の人々の仏壇があり、正月や七月には親族が集まってきます。それゆえか団結や親しみがもてます。
50年後にふるさとを訪問し、近代化した村ですけど人々は素朴で優しく、長年の海外での生活の疲れを癒してくれました。
村に住んでいる人にとっては自然に受け取れることでも私には不思議になることがあります。沖縄が近代化し日本と変わらぬ言葉や生活を営んでいますけど、古い習慣のユタが存在し、あらゆる行事が行われ、若い人が髪を染めモードの先端を走っているように思われますけど、反面古いしきたりが残されている。村の行事である敬老会でもブラジルの敬老会は違い、家族全員が参加して行われ、赤子から学生、青年達も集まり、日ごろの苦労をねぎらう意味において行われます。日本は土壌の断層のように年齢ごとに分かれて行事が行われ、社会の構造の不安を感じさせます。昔の村の社会、祖父母、父母、子がひとつの家に生活して食事をとりながら、貧しいながらにもしっかりと家族を守ってきた社会が私の頭の中に焼きついております。
ブラジルでもトーカチ88歳を行います。親戚が殆ど集まり従兄弟やその子供達も集まり、お互いに血の繋がりを深めるように思われます。このことが大和人 沖縄人は団結があると言われる由縁かもしれません。
ふるさとも10年後には変わった姿を見せることと思われ、また訪ねたい気持ちでいっぱいです。
2002年11月23日

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