2011年7月2日土曜日

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隣町に住む知人は、娘を通じ知人にんりました、彼、から二ヵ年分のサンパウロ新聞の投稿欄をまとめて、届けてくれた。土曜、日曜を利用して読んで見た、、日系コロニャにまだ多くの日本語の投稿者がおられるのに驚いた。つい日本語で文章を書く人って、どんな人物だろうかと考えてみた、Sさんは10歳の時家族とブラジルへ移民したらしい。家族と共に借地農で転々とサンパウロ州を渡り移転したようだ。青年になるまでコロニや集団地で生活したようで。あの頃の日本語教育が代用教員であるにも拘らず、難しい漢字で現代は使わない言葉で文章を書くからめずづらしい。投稿欄を読んで殆んどが戦前の教育を受けた人々のような趣がするのです。彼氏の場合ヴィドロサリャを経営して定年を迎えたようです、町で仕事をした人なのでポルトガル語も充分理解できると思ったけど、そうではないらしい、町に日本人はわずかでブラジル人との交流もあるかと思うけど、そうでもないらしい。毎日を読書や日本語新聞など読むのに費やしているようです。このように日系人の中にアポゼンタ-ドで日本の書物を読む人口がブラジル人に比較して大部多いと思う、一体投稿者は何で文章を書いて発表するのか考えてみた。
私の場合、時間に余裕が出来た事、この世界から消える日が近つきつつある事、生きた証しを残したい事、意見を交わしあう相手が欲しい事、投書すると読んだ知人から声を掛けられ励ましてくれる、貴方は物の見方がおもしろい、などと意見が返ってくるから尚書きたくなる、これは丁度役者が舞台で喝采を浴びるとなお演技に精だすのに似ている、自分で書いたのが採用されて新聞や書物に載るとやっぱり嬉しい、俳句や詩などの投稿者もみな同じ気持ちだと思う。書くことはボケないので良いことが上げられます。随筆を書くときはまづ題を頭に浮かべる、その動機やいきさつを書き、終わりの締めくくりを考えておいて、中身は題について頭に浮かんだ事を書き、パソコンですとあとで亦思いついたことを書き入れる事が出来るから、ある程度の文章が出来上がるのです、長年文芸春秋を読んでいましたけど始に読むのは随筆でした。まづ文が短い、ありふれた問題が書かれていて何かのヒントを与えてくれる。つい作者の名前も覚えてしまう、などで今でも多くの人々に読まれている。新聞などに載る投書は地方の出来事や自分の周囲に起こった出来事を知らせてくれる。その人のもつ知性を知る事ができる。同感できたら見識なくとも友のような感がする、などがある。日本生まれですと例えポルトガル語が理解出来たとしても、何かのブラジル人の会合でも残って余談のわに馴染まないのですぐ帰る、日本人の会合ですと時間のたつのも忘れてしまう程意気投合するのです。殆んどが若いころ植民地で過しているので話題が通じるのでしょう、
移民の中には元教員や役場員や事務員の経験のある方もおりますけど、このブラジル社会では通用しないから自分で仕事を始めるか、人に使われるかであったと思うのです、それでも何とか子供を大学までやり、よい職業につかせていて、、日本では役所や書類づくりや、なんでも自分で出来たけど,当ブラジルでは息子に頼らねばならず悲哀を感ずるでしょう、ブラジル人の中で会話がはずんでも自分の意見は言えない、息子や娘が集まりブラジルの社会問題をポルトガル語で議論しますけど、日本生まれの親は理解出来ても意見を言いたくても適当なポルトガル語で話せないから黙ってしまうのです、このような時代の断層が移民のなかで起こっているのです、日系人の多い集団地では老人会やゲートボールや仏教会などがあり土曜、日曜は過せるでしょう、それでも老人の悲哀を感じてはいけません、移民当時の言葉も判らずお金もなく、働く事によって子供を育て、大学まで行かせた自分の力を振り返って、例え息子や娘が偉くなってもその父母が偉いのです、心を狭く持つ事ではありません、現代が職業難でも、移民に比べれば子達は容易なことです、楽な仕事で良い収入を得たいからなかなか仕事が見つからない事だけです。、

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