2012年6月30日土曜日

随筆農業一筋に

私はブラジル移住して以来、農業一筋に生きてきた
古い移民には農業一筋で一生終えた人が殆どです、
故郷に錦を飾って帰る望みも果たせなかったのが多い、しかし戦後移住者は殆どが再渡航している。勿論私も何回もしている
錦を飾るほどではなくても、出稼ぎを兼ねての訪問も多い、自分の子孫をブラジルに根を下ろしているので
日本に永住する訳にもいかない、
また長年のブラジル滞在に日本での暮らしも
馴染めなくブラジルに永住を決めるのが多い
その様な環境で私はブラジルに誰よりも移住が適しているように思われる、先ず農業一筋に今日までやって来た
あるいは体と頭が動けるまでやるかも知れない。
まず農業始めたのは着いて一週間後から
エンシャーダを持ち始めた。出会ったのはコーヒー^
園で現在でも栽培している。色々な体験をしている
始めに出会ったのが霜で、パラナ全土に及び二年目のコーヒーが全部焼けた。その間作にトウモロコシと豆を植えて収入を得て、コーヒーを育てた二年目から初めて少しの収穫がでた。その後もパラナの新開地に
コーヒーが植え付けられて
生産過剰になった。政府が買い上げて焼いたこともあった、それでも生産過剰して政府がお金をだして引き抜いた、その後また霜が降りてパラナ全体が全滅状態になり自然と引き抜いて綿作に変わった。殆どのコーヒー農家が大豆や綿作に変わった。それでも私はコーヒーを栽培した。まず土地が標高高く少しの霜は免れていたからです。次の収穫は良い値段で取引された。
一時四人目の子が生まれた時。子供の教育を考えて。街の仕事をしようと思った事があった。丁度その頃日本ではスーパーが流行っていたけど、ブラジルの田舎街にはなかった土地を売っての転換ですから愛着で勇気がなかった。お客相手の仕事は苦手だった、競争相手のお客を取らねばならないからです、農業は隣の相手も同志と組めて発展できるのです。でも自然を相手にまた土地を相手にするのは好きだった、真剣に取リ組めば必ず収穫が得られるのです。古い伝統と新しい技術の組み合わせで市場を読んで栽培すれば必ず利益が得られるのです。機械を取り入れて、労働力を減らし有機物保存と表土流出を防いで作物が土壌から吸い上げた三要素はそれ以上に補う事に勤めれば土地は何時迄も栽培できるのです、日本の土地は何百年も作物が栽培されている、また労働法もきびしくなった
以前使用人はある程度の土地使用を与えて安く賃金を払っていた、現在は労働手帳に登録して最低賃金以上を払って運営している、街の労働者同様休暇も与えて尚失業手当のフンドも積み立てるので最低給料が倍になるのです、それでも農業は日本と比べて遣り甲斐があるのです使用人を使って利益がでるからです。1、農業は自由です、自分が主で誰も命令しない。亦、結果も責任は自分で持たねばならない時代の変化は予測できずにいる。それでも食糧不足と消費が拡大して不足がちです。自分で選んだ道ですけど農業一筋にやって良かったと思うのです.若しあの時街の仕事を選んだなら子供を大学までやれなかったでしょう。街の商売は家族の人でが必要だからです。

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