2012年6月24日日曜日

随筆   正直

人が社会で生活するには、正直は大切な要素で、信頼して付き合う事に必要です、それでも大人の正直と子供の正直は幾分趣が異なる。大人の純真な正直は子供っぽいとされて、あまり相手にされない。大人の正直はある程度純真を超えて誇張したり、反対に下げすますこがよくある。私達の会話の中でも言葉巧みに取り入れている。会話の中でうまく上下に取り入れて話す事は会話がうまいとされて、皆から好かれるからです、その程度は正直を超えているかも知れないけど、人間関係を潤す潤滑油の役割を果たしているとも考えられる。日本人は外国人からみて、質問に自分の本心を伝えない事がよくある。本心を伝えて自分自身が相手にどう察するか不安だからと思う。また,姑と嫁の間でもお互いに本音を言わないのが常です。それが家庭円満の要素であればその方が良いと思のです。人間のやり方に不純を感じて、時たま、自分に正直に生きたいと思う事もある、それが孤独になる事は間違いない。人間は褒められると気持ちが良い、しかしどの程度本心かも計り様がない。特に文章を書くにおいては、読む人が心よく感ずるように書いている、例え、ある程度の誇張もやむを得ない。人は衣服で着飾って、また化粧して、自分を美しく見せたいのが人情で本当の自分でないかもしれない、それでも見る相手も気持ちが浮き浮する、私達の日常生活が潤滑に活動するのだとも思うのです、人間は誰も他人が何を考えているか覗き見ることは出来ない、それもお互いに付き合う上で大事で、もし相手の中を見ることが出来たら衝突ばかりで大変な世の中になるでしょう。人間が正直に生きることは真実な人生なのです、けど社会の圧迫に耐えかねるかも知れない。日常生活は正直に近いけど人間はロマンスを好む、旅行は毎日の生活とはかけ離れて。楽しいけど長く続くと正直日常の毎日が恋しくなる。
ブラジル人社会では日本人は正直者だと認識している。多分本音もあるけど一世は言葉の不自由から正直にならざるを得なかったとも思われる。人間は正直が善で、嘘は悪とされている。場合によっては嘘をつかねならない時だってある。たとえば証人で友人を助ける場合、しかし政治家が自分の声明が嘘と発覚した場合、政治家として失閣するから発言を曖昧にするのです。
2012620

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