2011年6月25日土曜日

三つの顔

世界中で一つしかない顔が三つの顔とは何のことだろうと不理解に思われるでしょう。けど読んでいただくと理解できると思います。顔は頭の一部で頭には自分の生まれた時から今日までの体験や経験が記憶されていてコンピウターのような役割をしています。亦顔には名前があり同じ名前が何人もおります。けれど顔は世界でも同じのはおりません頭には。才能と技能がありこれは親から受け継がれて。才能は環境や経験や努力によってより磨かれていくのです。性格も親から引き継がれて環境により正確が創られていく。親と子はよく似たところがある、現在の私の顔はブラジル人の証明書を持ち、選挙権と軍人免除証明書も選挙権もあります。そしてカトリックの洗礼も受けて、結婚式も教会で挙げているのでカトリックの講習にも参加してブラジル人から信者として認められています。それ以外にブラジルの新聞も読み農業関係の組合の役員やシンジケートの役員もしているのでブラジル人から、ある程度尊敬されていると信じています、。けどブラジル人は私を日本人と呼んでいるのです。私自身も心の中にブラジル人になりきれないもどかしさを持って居るのです。次は大二の顔で日本人です。小学校にに行った時から、日本語を学び日本人としての教育を受けてきました日本の選手が世界で競争するときは日本人選手を応援します、日本の国が大震災に見舞われた時には心から悲しみ、日本人はみんな協力するからすぐに復興するのだと信じています、ブラジル人からも日本人は努力と協力があるので早く立ち上がれると語ると、日本人としても嬉しいのです、。テレビなどで見る日本の街が整った町並みをみると日本人として頼もしい。日本の自然の美しさや言葉のきメ細かい表現にも日本人の心情かうかがわれる、そして私は日本人としての戸籍を持って居たのです、しかし。ブラジルで土地購入の際に一時外国人が取得できない時期がありまして日本人の国籍を耗出してブラジル人になったのです、いまでも日本語の文章はすぐに理解できポルトガル語は日本語に訳して理解するのです、それほど日本語は身にしみているのです。つぎの顔はウチナ人で証明書もなく言語はあるけど文字が鳴く日本語にくっつておりますけど。年と共に最も心に残るのがウチナ-人の顔です。生まれた時から祖父母や叔母と一緒にウチナグチで会話していたので最も身近に感じていた家には祖先を祭る仏壇があり、一日と十五日にはお茶を供えて家族の健康を願うのでした。年と共に沖縄の祖先崇拝が経典もなく別の宗教と比べて偶像信仰のようにも思われましたが、良く考えると日本の神社も祖先が祭られて多くの国民が祈願するのです。自分の現存するのも元は祖先があるからで、自分の才能や技能も祖先から受け継いだもので、しからば祖先に現在の幸せを感謝して子孫を見守ってほしいと願うのも良いことだと思うのです、祖先を通して親戚が広い大陸で絆を持ち合わせて繁栄を願うのもよいことだと思うのですこの沖縄独特の言葉もブラジルで古い二世まではうけつがれていますけど,消えるかも知れません、ウチナグチは人の感情を表現した言葉がたくさんあります、またブラジルのように心と心臓もごっちゃでチムクククルと区別がなく、人の情を大切にしているように思われる、なかでもチムを使った感動詞は20ほどある。なおウチナーグチは少数民族の言葉としてUNESCOにも登録されているようですのでブラジルのウチナ民族の次の世代までも残したいですね.

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