2012年9月22日土曜日

    ロスへの旅


長年計画していたロスへの旅が実現した。八日間の日程を組んでアメリカの生活を見ることが出来た
最大の目的は僕と同じ運命を辿った従兄弟の真勇の武勇伝を目で確かめたい気持ちも、働いていた。僕と真勇は似たような人生を辿っている」そもそも
母どうしは従妹で僕の母が若い頃大阪で大変お世話になっていて、戦後北米と南米に移住したのです。生活が安定してくるとお互い会いたい気持ちがわき出て
僕の母が訪問することが出来た。母の土産話でアメリカの生活を伝えてくれた。その後お二人は他界なされて時が過ぎ。二人の間に交わした手紙が四通現れた
僕は読んでみて二人が姉妹のような感じがした。その事の内容を手紙で真勇に告げた、二代目の文通が始まり、メール交換と繋がった。僕の書いた結婚五十年「
戦後移住者の半世紀」を送った後、真勇の歩んだ道がロス発行の日本語月刊誌に載っているのが送られてきた。彼が日本で中学生の時ハワイに移住して働きながら
大学をロスの航空大学を卒業して長年航空会社の整備技師に就任した、忍耐と努力により航空事故原因調査官にまで上り、米国より貢献賞状とメダルが贈られている
日系人の数少ない功労者の一人なのである。僕はかような仁徳ある人と、じかに話し合えるのを願っての旅でもあった。彼は精神的に心の奥深く日本人の良さを
持ちアメリカ人のセンスを身に着けた、国際人の観がした。旅行中も育った沖縄とアメリカの生活を比較して移住した有りがたさを語ってくれた、僕も同感を得た
ロスは雨の少ない半乾燥地帯でそれでも水は豊富にあり自動的に放水するように道路脇は整備されていて、四つ角には何処でも火災用の配管がある。
道路はアスファルトが完全に保たれていて、住宅地帯でも一周に一回は掃除車が洗ってくれる。亦ゴミも一周に一ど回収するので大きなゴミ箱が三つ置かれて分け
ているようです、道路脇の草取りも市がしているので一体どれだけの税金を払うのか知りたかった。ブラジルの高級住宅街を思わせる静かな街です
ラスーヴエガス
観光の日程はすべて真勇に任せていた。翌日はロスの市内見物と買い物で過ごした、勿論ブラジルに比べて安い品物がたくさんある。商店はみなクーラが入って
涼しい、またお客さんも混雑しておらず、職員も少ない。飲食店にはメキシコ人が多く働いている、今日は早く休んで、翌日四時にラスーヴエガに出発の予定
で早く休む。その理由は高速道路が七時頃には一杯になる,郊外からの通勤が皆自家用車なのでバスは殆ど見当たらない。道路はほとんど四車線で一線は二人乗り
に優遇で速度を速めることになっている、夜が明ける頃には郊外に出ていた、八時頃には照りつける太陽熱で空気が乾燥してクーラ―無くしては耐えられない
見渡す限り、低灌木と草で砂漠と趣が異なる。しかし草はあっても動物はみあたらない。点々として小さな家があるけど人間が住んでいるか判断しかねる、五
時間の旅で小さい街が三か所にあった位で、州境でまた休み九時ごろラズ―ヴエガスに着いた。中心部には高層ビルが立ち並び殆どがホテルのようだ。その下が
賭け事と飲み場で世界から集まった観光客で賑わっている。僕が知る街の由来は周辺に生産物があり、働く労働者で商店ができ銀行や病院が出来て街の活動が
整えて市制が生まれる。然しラズ―ヴエがどのように出来たのか調べて、日本人とアメリカ人の発想の違いを感じた、日本人は大人の娯楽にあれだけの資本を投じ
るのはまず社会が許さない。アメリカは働て楽しむ国民性が生み出した街で、東西鉄道が通過する場所で賭博で人が集まり、マフィヤで権力争いストリップ
とバ-が物騒で、ある金持ちが全部買収して以後安定して1950年ごろには世界に知れた街となって、なお繁栄をたどっている。高い建物の広場は昼でも人工的
に夜の光景を思わせ。お客は賭け事に熱中している。街の標高は620メートルで人口は百九十万人で1955年の資産価格が30億ドルとなっている。
デズネイ-ランド
この街は広く知られているマンガ家の発想で家族で楽しめる場所で、世界の観光場所となっている。一日では見ることが出来ないほどの施設がありどの場所もお客
で一杯だ。ホテルの施設もあり家族ずれであふれている。子供を夢の世界に誘い忘れぬ思い出になることでしょう。
ホリウツド
アメリカ映画産業で栄えた場所で繁華外が観光客でにぎわっている、相手のホテルやお土産店で栄えている。有名な俳優の足跡と名前が刻まれた道路をみることができる、三つの観光都市がカリホルニヤ州の財源になり、近代出はソフト産業ガ州一体に存在して莫大の利益を上げている、米国でも最も裕福な国民を代表しているのを感じた。真一

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