2015年10月11日日曜日

随筆  家族と夫婦

私と親子三人がブラジルに移住したのは家族として
呼び寄せられたからです
私のようなケースがブラジルに沢山いる
その理由は殆どがブラジルへ出稼ぎに来ていたのです。
出稼ぎ故に小さい子供は祖父母のもとに預けられて
いたので。殆どが長くて五年間の別れと決めていた。
特に沖縄は土地が少ないにかかわらず家族が子宝にも
恵まれていた。
習慣からも子宝は家族の繁栄とされていた
沖縄は日本と違って家族の仲間に婿いりすることは
なかった。ようするに男子系の家族だったのです
沖縄では殆どの家族が出稼ぎに言っていた。長男だけが
家を守り、二男以下は日本にも出稼ぎにいっていた、
日本で沖縄人の集まるところは大阪で、沖縄村が
出来ているほどだった、
出稼ぎに行った人は故郷に残って居る父母の事
を思って使いたいお金も使わずに、歯をくいしばって
三年間勤めて帰り父母へお金を渡していた、
父母は隣近所をあつめて息子の帰って来たことを
喜び芋の天ぷらで持てなして喜びを分かち合って
いたのです。一つの手柄だったのです
私の父は祖父母が沖縄に残した長男だったのです
父は祖母の許で育てられ。一族は男の子がいなくて
父が跡継ぎのごとく、大切に育てられたようです、
青年になった時海軍に取られて勤めている間に
大阪に寄った時に母と知り合い私が生れ
母の実家で育ったのです。
沖縄で高校途中に祖父の家族としてブラジルへ
呼び寄せられた。
題の家族とは普通両親とその子達をさすのだと
思う、家族の輪をひろげれば
祖父母がおり、または沖縄だと男子系の
孫も含まれる、女子の孫は家族の内に入らない
のです

然しブラジルですと養子や妻の父母や孫でも
家族としている。
ブラジルでは血のつながりに関係なく一緒に
育った人をふくめて家族としている
私達の様に大きくなってから家族に迎えられても
祖父母の家族として加わるのは精神的に苦労が
多すぎるのです、わたしが、見た多くの家庭でも
一緒に育たなかった家族が一家に暮らす事は
お互いに神経が疲れて、上手くいかないようで
した
まるで他人と家族のなかで暮らすようなもので
血のつながりはそれほど和の元にはならない。
戦後移住者は他国への引っ越しですから親子とも
に移住してきた
外国での移民の苦労も親子共に味わっていて、
家族の絆も一層深まっているようです、
私の場合祖父が旅費を出して呼び寄せてくれたので
有りがたく思わねばならないけど。私は家族の
中でしかも長男の子で当然だと思っていた
祖父としては戦争に遭い生き残った自分の孫を
助けたい思いで呼び寄せたのです、
一方で私は言葉の不自由から自由に出来ない
もどかしさがりあり不満であった
別れて暮らして始めて祖父の人柄や人情持ちで
沖縄の移民」たちにお金をかして独立させていた
祖父は無学ゆえに自己的に自分の土地を広げる
ことはしなかったようだ。
一方、夫婦は他人どうしの結びつきで、育った
環境も違い、家庭の風習も違う、それでも愛と
言われる潤滑油で持って、
性生活も加わりなお一層結びついている。
子供が生まれると。夫婦の家庭から子を含めて
家族を構成するのです
二人の所有物の役割を果たし子はかすがいの
言葉の様に夫婦の絆を深めるのです
子が結婚して孫が生まれて家族の輪は大きくなる
嫁の両親をもブラジルでは家族にふくまれる、
若し夫婦が離婚した場合家族の輪はどのような
変化をもたらすのか、離婚したあと一緒に
すごした過去は思い出なども、含めて消えるで
しょうか複雑な気持ちを持つでしょう、
その原因が子供にとっては不幸で不良になる
傾向もある
老人になると夫婦の輪は勿論で家族の絆も大切
で幸せの元となると思うのです。

2015年10月10日   終り

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