2013年3月10日日曜日

随筆


ビアジャンテ
戦後間もない頃まで多くの日系人がビアジャンテとしてブラジルを駆け回って居た。その中には名前の知れたべテランもいてよく日系新聞に投稿していたのが思い出させる。サンパウロ市にはビアジャンテクラブまであって情報交換していたようです。
今日では店で日系人のビアジャンテを見かけたことが無い.流通組織も変化してインターネットでも取り寄せる事が可能になっている。ビアジャンテの仲には田舎を回って売りつけたり、またミシンの修理とか、刃物を研いだり、田舎の日本人の殆どが用をたしていた、日系人特有の布団もビアジャンテを通じてしか買えなかった。とくに布団は娘の嫁入り道具の一部で結婚の噂がが入ると確実にビアジャンテが現れ商用が成り立つのでした。
ビアジャンテは日系コロニヤの詳しい状態を知り尽くしていて。各家庭の懐具合や家庭の品格まで知っていた。特に年頃の青年を抱えた家庭では嫁の世話まで引き受けていた。ビアジャンテは家庭の風格とかの似合う娘を世話するので、うまくいくので後まで交際を続けたのもあった。また話の話題も豊かでかなりの知識を身につけていたようです、
相手次第で釣りの話や。農業の知識も持ち逢せていた。日が暮れると話に夢中で相手の家で夕食から寝泊りまで、翌日の朝のコーヒーを頂いて出発したようです。
家の主人に気に入ってもらうにはそれだけの話題を持ち合わせるのがビアジャンテの条件でした。
ブラジルのアマゾンから南のリオグランでまで話題は幾らでもある、中に他人からのの受け売りの話もあって。あたかも自分が経験したように語っていたのです.たとえば日本で軍隊を経験した話に地方の軍隊訓令所などで銃の構えから持ち上げまでの様式を自分でやって見せて教官を驚かせた話はあちこちで聞いておるのも受け売りの感じがする。亦。話好きな人は次の様な嘘の話を真実のように話してくれるのです
サンパウロの奥地の原始林視察の時、山中異様な音が聞こえてきた。その音がだんだん大きくなり率先者が山豚の群れだといった。とかく大きい木の後ろに隠れろと命令した。その中の一人は銃を持って居た、ものすごい勢いで通り過ぎた後を狙って弾を放したら一頭が倒れていた。皆で寄ってみると弾は頭を貫いた跡があった,しかし弾が入った後が見つからない、不思議ににもメス豚で陰部から入ったとしか考えられないと真に語ったけど聞く人は、半信半疑でいた。
亦アマゾンでは十メートルの川を渡るとき大きな木がまたがっていたので木に下がり川を横切ったら木が動き始めた、大変だスクリウだと気づいた者もあると話す。あの頃の田舎には情報が乏しくビアジャンテを囲んで隣近所が集まりヴィアジャンテの話をピンガを飲みつつ、夜更けまで語りあったのです  終り

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