2014年5月1日木曜日

農業組合始末記

僕が関わっていた組合がやっと解散することが
できた。同じ大きな組合の買収のお蔭である
僕は街の組合の始め頃からの組合員で最古の
役員でもあり亦最初の合併の組合員でもある
それほど僕にとって農業と組合の関わりは
無くてなら無い存在だと思っている。
僕が役員をしていた組合の始めはブラジル全体に
政府の奨励あって筍のように生まれた。始めは
役員も無報酬で勤め大地主が務めてなりたった
組合が軌道に乗ったころから報酬も払うように
なった。其の頃から選挙に関心が現れた
インフレーの激しい時代に政府のお金を借りて
出来るだけ設備投資を行い多くの負債を抱えていた。
組合のイスタツトには利益の半分は積立、半分は
モヴィメントに応じて分配すると規定されている
けど役員は全額積み立てた、農産物の売り上げの
一パ―センとも積みたて何時か組合員に返す
べき負債なれど投資設備をインフレーに応じて
増やしてバランソを保っていた
その後政府が貸付にインフレ率を利子に付け加え
負債は増える一方で、役員は組合員の農産物を売り
出して現場を凌いでいた。組合員は離れていった
組合と民間企業と比較した場合、従業員が多く
コストが高く利益が少なく、その分組合員の出資金
でおぎなっているのが事実でした。最後に銀行の
長期貸付を固定利子で払うように役員の裏書で
合併するまで運営していたのがやっと合併により
裏書の責任が無くなりました、
インテグラダ組合はコチヤ組合解散後
ロンドリナを中心に生まれた新しい組合で
授業員も少なく銀行の負債もなく堅実に
エスタツトを守って利益を組合員に還元して
発展して現在では北パラナの東カンバラから
パラガイの境まで支店を広げて我が組合も
合併して我が組合の終幕に至っている
組合の始末に関わって農業者に迷惑かけずに
至った事、民間企業が多くの農業者に損害を
与えている事を思うと農業者の擁護に無くては
ならない存在で僕自身もいろいろの事を学んだと
思っている
      完  ニ千十四年三月十三日


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