2015年9月5日土曜日

随筆  想像力

今年に入って欠けていた歯をインプランテして
全部揃へた。八十歳にしてである.老人になると
歯が抜けるのは当然ですけど。娘から食べ物は
良く噛んでいると体に良いと言われたのが、原因で
ある、医学の発達でトランスプランテは何処の国でも
行われている、 
最近読んだ太宰治の作品に次のような事が書かれ
ていた。
十九世紀の頃、フランスに有名な眼科の医者がいた  
彼は自分の名を残したいと思いつき、街で出会った
盲目を呼び止めて貴方の目を見えるようにしてあげる
と話しかけた。勿論盲目は喜んで承知した,但わたし
はお金がありませんとだけ告げた。 医者はお金は取らない
とつげた、一週間後に病院にくるように約束した。
当日に盲目が現れてトランスプランテが行われた、
一週間後包帯を取り除くと。彼はよく見えると告げた
医者は自分の手術が成功したのを見せようと、サー街を
歩てごらんなさいと言った、彼は尻込みして私は街の人びが 
怖いのですとしり込みした。医者は貴方の目には
ウサギの目を入れたのだと話すと、彼は驚いて。
私は盲目の方がよいのです。杖を頼りに街を歩け
たのに今はできませんからウサギの目を取ってください
医者はウサギは動物に追われて逃げ歩く習性があるからかもしれないと思った
第二話
日本のやく百家族の部落に大豪農がおった。その家の
長男は人々から坊ちゃんと呼ばれていた、
青年になり嫁をもらうことになった。矢を立てたのが
貧しい農家の娘で顔立の麗しい淑やかな静子だった
彼女は内気で知られていた。青年は彼女に上等な着物を
着せて首にキツネの毛皮を肩にのせたら
さぞかし街の話題なるだろうと考えた、早速静子の
の両親に話すと両親は大喜びを隠すことができな
かった。話はトントンに進み結婚式を挙げた
青年は街に静子同伴して姉に頼んで着物を選ば
せた。勿論キツネの毛皮もそろえた。静子が街を歩く姿は人々を振り返るようになった。幾日たっても実家へ顔をだすことがなかった
亦彼女も街の人と話す機会が多くなり、自分の境遇を
自慢」するようになった。彼女の友達からは嘘つきで
傲慢になったといわれるようになった
昔からキツネは化けると言われている、あのキツネの毛皮
の素質が乗り移ったのかとの噂になった
第三話
人間は想像することができ、つたえることもで
きるのです。人魚の話も想像から造り上げた
のではないかと思われるのです。まず動物の世界で
確実にオスとメスが存在する、けど人魚にオスは診たことが無い。多分男ガ浜で海からでて来て浜辺に髪
ながくした足の長い女性が横たわっているのをみて
人魚を想像したのではないかと思うのです。
男性が同じポーズをしても浜辺の石ころにしか想像できないでしょう。この世界で生命の発生は海からタンパク質
からできたと語っている。単一の性から進化
して動物と植物に別れ、尚進化してオスとメスが発生
して現在までの進化をとげたのでしょう。
この事から考えても人魚にメスだけ存在するのは
考えられないから想像から生まれたのだと私は考える
また。家族とは父と母と子供を持って家族と
社会はみとめる。
現在社会出同性結婚が行われているのは家族と
見なす訳にはいかない、なぜかしら生命の進化から
退化した現象にも思われる、と想像するのです。

2015年8月23日日曜日

 随筆   晩年

晩年とは年齢が老人になり死の近くに生きた幾年と
思われる、私の現在にあてはまるのです
仕事から離れて日々の時間をどのように
過ごすか時間をもてあましているのが現実です、
若い頃と比べて何事にも熱中できないでいる、
その目的は、成し遂げねばとの意義をみいだせないのも
原因と思う、また体の不自由も原因で、目が長時間に
読書にたえず、目が潤んでくる、先週も青空文庫より
太宰治の作品を引き出して読み始めたけど手ごたえのある
作品ですけど、最後まで読んだのはない、字か霞んで
見えにくくなりほりだしてしまう。時間がたつとまた
次の作品を読み始める、ブラジル新聞も見出しと
コルナを読んでなげだす。なんでも知りたい欲望だけは
衰えないようだ。
亦長時間こしかけると腰が痛み、運動してまたあとに
読むのを続けている

それでも生きた証に何か書いて残したいと
思うのですけど、中なか筆が進まない。
記憶を詠みかえらしたら、今日まで生きた証は
たくさん在るはずなのに思い浮かばないでいる。
自分と親かった人々は他界され自分だけが残されて
過去のことを書き残してくれと、頼まれているとも
感ずるのです。
考えると移住者の中で自分ほど日系人社会とブラジル
社会に溶け込んだのも少ないようだ、
日本人会の役員も長年勤めて、いまでも相談役に
おさまっている。亦仕事上組合の役員にもなり
多くのブラジル人と交友をもつ事ができた。
数多くの集会に担ぎ出されて参加したことも
自分の知識を広めたことになっている
それ以外に崇教団体にも加わりパレストラにも
加わった経験がある、人と交わることが自分の
知識を会話の中で披露する事にもなった。
特に後輩の移住者の結婚や独立にも手を貸してやった
方が幾人もおり、その人人も自分より先にいって
しまった。取り巻く日系社会は多様化して。まさに
同化の現象を思わせる。農業に携わる人物は少なく
私自身も最後の締めくくりに土地を貸し出せる準備
をしている。朝目が覚めると寝て体のアロンガメントに
足の運動をする。腰のマッサジ器を使って揉む
そのご呼吸器を使って肺の掃除をしたら鼻の呼吸が
しやすくなる。全てが娘たちの指導で行われている
先週も一周間も身体検査で費やした。
それほどに医学の発達を利用して自分の生命を
伸ばさなくてもよさそうだけど。反面、寝たきり
になり娘の世話で生き延びるのはなおさら御免だ
近頃思う事は若い世代から植民地時代のこと特に
日系人社会が二つに分かれていた時代の事や
経済状態を聞かれることがある、わたしは
戦後移住者で多くの戦前移住者(一世)と関わっていた
けどくわしい状況を聞くのを忘れていた、
それもお互いに古傷に触りたくない思いがあった
のだろう。自分で想像して語る立場にある。
若い世代の二世が自分のルーツに関心をもちはじめたのは
当然で日系社会を引きつがせる役目だと思っている。
この文章も後輩に残す積りで書いている

 2千十五年八月十六日  国吉真一


2015年6月28日日曜日

 ブラシルー何処いく

混沌としたブラシルの政治に国民は希望を失っている、2002年に就任した ルーラ大統領は国民の多数の支持を得て政治改革や、

汚職などを無くすることを約束し、国民は彼が貧しい中から立ち上がり、エリートな政治家に対抗して立ち上がって国民の支持を得たのです

私も投票した一人でその後の政治に落胆して書き留めているのです、彼が貧困を救う気持ちは納得できる、その手段似はブラシル国民として同意しえない、その点を記して置こう
まず貧困に出資したお金は消費に回り、商店や業者をうるおしますけど、一時的現象です。ブラジルはあらゆる部門で政治改革が必要ですけど、ポプリヅモに酔いしれてなされずにいたったのが財政赤字破たん寸前におかれている、4年の間に改革したのは見当らず、インフレーは安定していますけど、食料はドル安で消費者にとっては良いけれど農業者を苦しめて

、工業製品も輸出が難しいのが原因で、インフレーは安定していると言えるでしょう、失業者は増える一方で社会不安になり犯罪が増えている、

貧しい人々への援助と社会福祉が増え国内支出が増えて、赤字が増えインフラへの投資がなされていない、以上がブラシル何処へ行くとの題なのです、

ルーラが掲げる低所得ㇸの生活保護によっては国民の生活向上ともみられるけど単なる選挙戦絡にすぎない、。

ばらまいたお金が消費をうながし国内製品の増産にもつながり。景気が良くなったともとれる、しかし財政の予算を消費するのみで。

国家の財政を圧迫している、資金は中産所得の税金で賄われている、国内産業の輸出にはブラジルの生産コストが高くのびなやんでいる


案外輸出のある部分、牛肉や砂糖、鶏肉。鉄鉱石は世界の景気により輸出が増え。外貨準備高がふえていますけどブラジルの銀行利子高も加わりブラジルへの投資も増え

、備蓄のドルが増えドル安になり国内産業の靴や加工品が輸出出来なくなっている状態です

ブラジルは世界で一番税金の高い国でそれが工業製品のコスト高に繋がっている、政府の国内赤字は増え続け、税制改革は実行できない状態にあります

。それ以外にも年金制度も98年の憲法改正により国の負担が増え財政赤字がだるま式に増え続けているのです、それ自体がインフレにつながり

、高い利子で抑えているのです、その反面商品コスト高にもつながっています

。今年大統領選挙が行われていますけど、あらゆる行政で汚職が発覚し莫大の政治資金が政府企業からお金が流れあらゆる面で、政府と企業が結びつき

、無駄な税金が使われていて、議院も仲間入りしての税金無駄使いですからあきれたものです、知識ある国民をなげかせています、

それでも再選に立候法して大多数の貧しい人の支持をえております、ルーラ大統領は労働者を仲間に立ち上がった男ですけど、今は労働者ではなくエリートの仲間で

労働者にはありえない恩給をえており、労働者を土台にしてなりあがった男と言えるでしょう。知識ある国民を裏切った者とも言えるでしょう、

南米諸国は貧しい国民をエサに政治を行いますので、ベネズエラやボリビアなどポプリズモで人気を得て当選しますけど産業発展にはつながらず。

結局国の発展にも繋がらないのが残念です

2007より二度目の行政を統治しますけど、ある面では外貨が三倍に増えリスコも少なく政治改革、税制改革 治安 教育と多くの課題が野党がすくないなかで。

どう手腕を振るうか問われています、結局2007年も始めは5パーセントのP,B5パーセントの成長をみこんでいましたけど3,5パーセントに訂正せざるを得なくなっています、


その原因は支出が増えた原因は最低給料やアポゼンタドリヤの支出がふえたからです。

2015年4月9日木曜日

随筆  おしゃべり

この随筆はㇿンドリ—ナの沖縄人の老人クラブにて講演した原稿です
私の名前は国吉真一です。君枝さんの従姉妹にあたります。私はカンバラの街から、おしゃべりしにきました。だんだん年をとると忘れ物をする事が多いのです。あの薬は飲んだのか、はっきり覚えていないとか。亦何か物を置いた時どこにおいたのか、はっきり記憶がない事とか場合によっては隠したお金が無くなったと勘違いし、エンプレガ‐ドガ取った物と思い込み、後で引き出しの下から出て来たりする事がある。あとで大変な思い違いをしたことに、また、エンプレガードに済まない思いで悲しくなる事がある。忘れる事がひどくなると、ボヶと言いますけどこれは年のせいですからいたしかたがないのです。それでも、ボヶを防ぐ方法があるんです。年を取ると耳も遠くなります。自然と人と話す事がややこしいので黙るようになるんです。それがいけないのです
私は82歳ですけど片耳はほとんど聞き取れない。亦片方も50%しか聞えません。私は人と話すことが好きなんです。でも耳が遠くなると話すことも少なくなります。
頭がボケない方法がいくつかありまして、先ず人の集まるところに参加することも一つです。黙るのではなく、おしゃべりすること。そしてもう一つは本を読むこと。そして書くこと、毎日のできごとを日記に書くことです、これは一日の出来事をはっきり覚えるのに役立ちます、おしゃべりする事も頭を使います、また読むことも頭をつかう。また書くことも頭を使う、頭を使うことは考えることなんです。それ以外にも運動したり、頭に新陳代謝を促す事なのです。それで私がおしゃべりしに参った訳なんです。私は純粋のウチナ人です、私は3つの言葉を話します皆様もそうですけど。まず日本語、そしてポルトガル語そして沖縄語です
その中でも最も好きなのは沖縄の言葉です、小さい時から親子で使っていましたからです。でも沖縄の言葉にはほかの言葉にない深い意味を持ったのがあります、わたしの街には3人の沖縄生まれがおりまして殆んど沖縄の言葉を使う機会がありません。今日は皆さんと約1時間おしゃべりしますけど。
わたしのお話しが面白かったとか、楽しかったと思ってくだされば私はとっても嬉しいです。沖縄のことばに、ナンクルナイサとの言葉があります、これに当てはまる言葉は外国語にはないようです、この言葉に励まされたことを良く覚えております。私は今でも農業をやっております、農業は自然の影響をうけます。1975年に翌年コヒーの大豊作だと見込んでいたおりに大霜がおりました。青々としたコヒーが焼けたのです。がっかりした私は朝ごはんものどから通ませんでした。そのとき母は沖縄の言葉で「ぬーがなんくるないさ」と励ましたのです。そうだ。時がくれば今の苦しみも忘れるだろううと思いました
みごと翌翌年はコヒーは青々と茂り多くの実をつけてくれました、それ以後に自分がくじけたきとカ、失敗した時などに「なんくるないさを」心に聞かせます。また「テ‐ゲエサ」との言葉もよくあじあう言葉です、沖縄人はとことんまで争うのが嫌いなんです、人と議論するとき、お前が間違っている、いや俺が正しいと口論して解決がないとき。なんだテゲーエサと言って終わるのです
皆様もご存知の「いちゃリ場兄弟」の言葉もいみ深いもので沖縄人の気持ちをよく表しております。沖縄人良く励ましあい、よく助け合いますその良い例が「たのもし」です。沖縄人が10人もおれば「たのもし」があるのも助け合いの一つです、又県人会の会館が多いのも沖縄じんです。沖縄人は家族の絆を大事にします、永田さんという人が本にこう書いてありました、
沖縄人の三世に沖縄舞踊をならう子供に。どうして沖縄舞踊を習うのかときいたらお爺さんおばーさんが喜ぶからと返事でした。この事からしても親子三代まで親子の絆を大事にすることに感動したと書いてありました。今日本の都会では親子が一緒に住む家族が殆んどありません。しかしブラジルのとくに沖縄人親子が一緒に住んでいるのが多いのです。これは家族の絆を大事にするからです。私がブラジルに移住したころ大和ちゅは沖縄さんは良く子供に勉強させるねと言われました。あの頃カンバラには3人の医か大学生が降りましてそれいがいにも歯医者や経済学に学んでいるのがおったのです、それも両親は農業をしながらです、本土人にはおりませんでした。さて自分の出身地を褒めてばかりいるようで恐縮していますけど。自分に誇りを持っていたら次の世代も自分のアイデンテイに誇りが持てるかとも思っているのです。
2015年4月九日   国吉真一。


2015年4月3日金曜日

考える事

考えは常に変わるのです、数学とか論理は変らないけども、年と共に考えが変化するのが習わしで、自分の変化に苦笑することもある。変わらねば頑固親父と呼ばれる。物事を考えた時。自分の持っている知識をもって考える。各自が歩んできた過去の経験や書物からえた知識をもって物事を判断するから結果は各自違うのが常です。物は前から見た感じと、側から見たのとも見方は違ってくるから面白い、文章を書くにも考えが纏めてあった訳ではなく、その場で頭に浮かんだままを書いているから、後で読んでみて先が続かないことがあり。考えてしまう。とくに社会情報はテレビから得ることが多く、日本の政治や経済と国民の暮らしなど。日本に住んでいなくとも。知る事が出来る、社会情勢では普天間基地移転ども、沖縄県知事が自然サンゴ破壊を訴えて即時停止の法令をだしている。この問題で私し自身が沖縄出身故に考えさせられる。日本の安保条約を考えると、アメリカの軍事基地はやむを得ないと思われる。ただ普天間基地は街の中に基地があり、速やかに移転が必要です。辺野古は街ではなく海岸の延長です。人間の破壊よりはサンゴの破壊は許しうる範囲だと私は考えるのです。その点についてインターネットのニュース欄を覗くと投稿欄に書かれていた、日本国民です、県知事は沖縄空港の延長に海岸を埋め立てていてサンゴを破壊しているのになぜ停止命令を出さないのかとあった。考えさせる。若し軍事基地を沖縄から引き揚げたなら、沖縄の経済は産業がなく、観光だけでは成り立たないと私は考える。日本事情をテレビでみると。世界各国から称賛のまとになっている.自然の景色の豊かさ、国民の社会意識の高さ、治安維持の良さ、国民すべてが労働者で世界に名前の載る金満家は存在しない、それに比べてブラジルは政治家が国民の不信を得ている。正直はまるで馬鹿者扱いする風評がある。それでも、日本の様に地震がなく津波の心配がないのはありがたい、雪の上を滑ってみたい気もするけど、寒さは怖いと考えてしまう。青空文庫に多くの作家が随筆など書いたのがある。雑誌や新聞などに掲載の依頼をしていて締め切りまでに。題や内容が浮かばず苦悩することがのっている。宮本百合子など日常生活や思想や女性の目覚めるべきなど、読む女性を奮い立たせる迫力がある。また太宰治なども良く随筆を書いておるけど、若い人々の苦悩や学生などに人気があったようだ、人間の苦悩を知り尽くしていて、思い当たる事がある、青空文庫は考える材量を提供してくれる。

2014年12月20日土曜日

定め



マリアナは大人になって母から、次のような話を

聞かされた.多分お前たちに日本人並みの生活を

させて、良い相手と結婚させるのを夢に描いていた。

然し運命と言うか、定めは乗り越える事のできない

運命だった。例えばこのビーラに店を構えても買う

人々は貧乏人で無理にお金を催促することはできなかった、

またお父さんも手助けになるような人ではなかった

それで一家は郊外のビーラで暮らすしかなかった、

いまでは定めだと思っている

なにか娘にすまない事のように話した、マリアナは

町の郊外「ヴィーラ」に生まれ育った。

町の中央までは一キロもあり、八歳の頃町の市制

七十年祭に母と一緒に学生のパーレ-ドを見て初めて

セントロを知った。

その日は各団体のバラカが設けられていて日系

婦人のバラカもあった

母はバラカに働く婦人達と親しく話していたけど

マリアナにとってはみんな知らない人ばかりでした

また多くの日系人に出会うのも初めてだった

母が女子青年だった頃は皆と付き合っていたと語って

くれた

母の若い頃は植民地に住んでいて生活も皆とも同じで

偏見はなかった。夫の靖男とは両親同士の話し合いで

見合いして結婚が決まった。

靖男はまじめで日本人の求めている手本のような

青年に思われた。日本語も立派で母の直子マリヤとは

日本語で語らい会った。目が不自由で近眼だった、

その理由は子供の頃爆竹を鳴らしたとき、

不発にも手の元で爆発して目を傷めて、

その頃は町に専門の医者もおらず、おきざりに

したのが原因だと母のマリヤは話してくれた。

そのことが結婚後の生活に不自由をきたすとは

思ってもいなかったようだ

靖男の家族は直子を嫁に迎えたことに安堵して

いることを率直に直子に話した。

結婚して靖男が生活力もなく農業には向かず

町で暮らすことになった。直子の父がヴーィラに家を

買い求めて結婚生活を始めることができた

その後マリアナが生まれたマリアナは日本語の

名前は久子とつけたけど家族だけが呼んでいた。

回りはブラジル人の友達でマリアナと呼んでいた。

母のマリヤは裁縫を身に着けていたので生活の糧は

母が工面した。暇が出ると敷地の後には空き地があり

野菜も作り、漬物も作って、食べきれないのは近所

のブラジル人にも安く売った。

それ以外にもセントロでよい模様の生地を見つけて

子供服を仕立ててヴィーラの白人家族が買い求めた

ヴィーラの母達は貧しいながらも子供も多く抱えていた

母のマリャはヴィーラでは知識があり尊敬されて

いた

近所の主婦の相談相手にもなっていた.たとえば

如何にしたら避妊することが出来るかも相談してい

たそのことは夫の靖男はカトリック信者で毎日曜

にはミッサを欠かした事がなかったので。

マリャが避妊の話をもちだすと夫の靖男は

カトリックの教えに反すると思わしくしなかった。

マリアナは小学校を卒業するとすぐ会計事務所に

働いた、

十四歳なので一人前の給料を貰う事は出来なかった

それでも母は喜んだ

年齢は満たなくも仕事は一人前以上にこなした。

雇い主のアントニオは日本人は数学がうまいと褒め

称えた。

十八歳になった時にブラジル銀行の採用試験があり

見事合格した。弟の二人も昼は民間銀行に勤め夜学で

中学を卒業した。

その後弟の二人もブラジル銀行に合格して三人兄弟姉

がブラジル銀行に働き、町の話題にもなった

その後兄弟姉三人でセントロに家を買い求めて移り

住んだ

母のマリャはやっと日本人会の婦人部に入会して人並

みになったと喜んだ。

日本人会では母の日にマリヤが貧しくとも子供を立派に

育てたことに、模範の母として表彰状を会場で

渡し会員から拍手が沸いた。

マリヤは生まれて初めて皆から認められたことに

誇りを持ち始めた。今までの苦労や子供たちの

努力もすべて神を信じて神様が与えてくれたと

夫婦は思った

夫の靖男は尚一層感謝のお祈りを捧げた

マリャは夫の無能さで誠実だけでは生活できないことを

程よく知っていた

夫は商売にも向かず。ただ靴を減らしてヴィレッテを売り

歩き、幾らかの収入を得ていた

目の不自由さにヴィーラの労働者が買い求めて

くれた

あるとき靖男は今夜羊の夢をみた。このヴィレッテ

はヴィアドだよと話しかけた。それを聞いた農夫が

全部買っていった

そのヴィレッテが当たった。自分のことのように

嬉しがった。

忘れた頃にその農夫が靖男の家に現れ貴方の勧めで

買ったのが幸いにも当選した。

その十パッセントをあげると四千クルゼイロを置い

ていった

そのとき始めてマリャは夫の靖男の正直を褒めた。

今まで人前で夫の無能さをののしっていたマリャもそのご

小言を言わなくなった。

人の前で夫をけなすマリャも内心夫の誠実を心の

糧として愛していることを知った。商人が嘘を

平気で何の良心もなく物を売りさばくのを知って

いたから、無能な夫の誠実を頼もしく思われた。

マリャは風邪を引いて寝込んでしまった病院に

入院したけど肺炎に悪化して一週間で他界して

しまった

葬式にはヴィーラのお友達が現れてマリャの死を

惜しんだ。ブラジリャに住む弟達も現れて

母の歩んだ今日までの苦労や努力を称えた

マリアナは今後父を誰が面倒見るか、どうしても

父一人では生きていけないことを知っていた

誠実な父をマリアナは尊敬していた。これも定め

られた運命なら自分が父の最期を見届けようと

決心した。

自分が三十五歳にもなり幾つかの縁談もあった

けど両親だけおいて結婚するのに踏み切れず

適齢期も過ぎてしまった

少女の頃が思い出された、家向かいのアンドレー

と友達になり一緒に学校にも行った、数学の宿題

はマリアナが教えてやった、またアンドレーの

自転車の後ろに乗り汽笛が鳴るとよく見に行った

汽車がお客を乗せて通ると手を振って見送った、

お客さんも答えて手を振った。通り過ぎるとまた

汽笛がなり帰途へついた。

駅は五百メートル位で、夜など汽車が通ると

ゴトンゴトンと家まで響きマリアナはアンドレー

と駅で手を振ったのを思い出すのだった

アンドレーの父は運搬業者でカミ二オンを家の前

に置いて、ある時はいつも野菜の空箱を持ち帰り

アンドレーは空き箱を利用して遊び道具を作るのが

上手だった

マリアナの家の裏に鶏小屋があり父と一緒に空き箱

を使って修理もしてくれた。

マリアナは手先のうまいアンドレーに父が持ちえない

男の手わざの良さを見出すのだった。

ある時は肥料の落ち毀れた車体を掃いたゴミを

マリアナの母の野菜畑に持ってきてやった。

マリアナは思いやりのあるアンドレーに初恋の感情

を抱いていた。

アンドレーの父はヴィャジの帰りには土産に黒糖

『ラパヅラ』と地酒『カシャシャ』を持ち帰り街角の

ボテコに卸していた。労働者は仕事の帰りにバールに

より珍しい酒を珍味するのが好きでいつも満員して

いた。

たまにアンドレーがバールによるとFIHLO DE―

PATRAOと呼び寄せ、お前の父の酒は飲め、

うまいぞと父を褒め称えたことなどもマリアナに

語った。

マリアナは職場の男性を見て皆、中産階級に

育っていてマリアナのような労動者の暮らす

社会は知らなかった。

男の同寮達は結婚していて、生活維持に月給を

前借していて生活疲れで輝かしい男は見当たら

なかったので。アンドレーや父のマリオのような

学力がなくても生活力のある男がたのもしく

思われた。

入社当初は張り切っていたマリアナも定年が

近づくと意欲もなくなり毎日を与えられた職を

こなすのみだった

マリアナは母の一周忌のミッサを行なうに

当たって、ブラジリヤの弟も参加した

ついでにブラジリヤに住むアンドレーの近況が

知りたかった。

マリアナがセントロに住むようになってから

アンドレー家族もブラジリヤに引っ越した。

従妹のロ-ザから建築に携わっていることを

聞いたのが三年前、今では立派な建築士なって

いるのではないかと想像するのだった

早速その話を弟に持ち出すと想像以上に成長して

いた

話によればビルデングのトイレのタイル張り

を自分で発明した道具を使うと、三倍も仕事が

はかどり四人の使用人を使ってビルデングの

トイレを請け負っていて、名の知れた請負士だと

語ってくれた。マリャは初恋の男が自分の弟の

ように嬉しかった。

マリアナが思い出すのは親子三人でオランブラの

花の博覧会に行ったのが家族の良い思いでと

なっていた。

母は珍しい見たことがない花をみて夫に語り

かけていた。

農業の部門で日本人が優れていることは認めて

いたけど、オランダ人は日本人より上だと感心した

その後母は野菜や洋裁はせず、ひまをもて

あましていたのを機会にランを集め始めた

集めたランが四十種類にもなっていた。

父はランの花をみつめて亡きマリャを思い出して

いるように思われた

マリアナが思い出すのに父が一言でも小言を

言ったことがなかった。

そのような父をマリアナは不憫でならなかった。

人間誰しも不服はあるはずだ。自分の不満も

言えずに父は耐え忍んでいたのではないかとも

思ったりもした。もしそうであったら開放された

父は安堵しているかも知れないとも思った

人間だれも心の窓をのぞくことは出来ない。

あるいは天にいるマリヤにありがとう。

幸せだったと語りかけているかも知れとも思った  おわり

       おわり



2014年11月28日金曜日

小説     養子

 卓司は叔父に育てられた。出来事は原始林を
購入して開拓当時の事だった。卓司の父母が
マラリヤにかかり、一か月に二人とも亡くなった。
その後叔父が引き取り育てられた、
卓司が八歳になった時に叔父から知らされて解った。
なにも知らずに叔父上をお父さんと呼んでいた
卓司の下に弟妹がいた、二人はいつも兄さんと呼んで
いたので従兄弟だと知ったのもその時だった。
卓司が物心ついた時に自分と弟妹があまりにも
似てない事に疑問を持ち。どうしてぼくは弟妹に
似ていないか。
母に問いかけた事がきっかけで、安田叔父は
次のように話してくれた
原始林開拓なので家はパルミツトで屋根はやしの
葉を載せて雨をしのいだバラ屋だった。其の頃は
雨が多くマラリヤが発生して四十度の熱にうなされた
先ず卓司の父が倒れて看病に母が当たり
昼夜の看病の甲斐もなく乳のみ子の卓司を
抱いて死亡した
植民地から多くの犠牲者がでた。その後は
二キロ離れたブラジル人から牛乳を分けて
もらい何とか成長して、八歳の誕生日を
迎えた時に事実を話してくれた。
卓司は自分がこれまで父母の様に甘えた
気持ちが一瞬に変わった。お母さんは
これまでの態度からして二人の妹弟と何ら
隔てなく愛してくれた。
卓司はそのご。叔父さん叔母さんと呼んだ。
叔父は今までのようでお父さんと呼んでも
良いよと言った。けど
卓司は従妹弟に父を横取りしていると
思われるかも知れないと、八歳にしては
人間の持つ感情を抱いていて、改めて叔父
さんと呼んだ。いやがうえにも感情を植え
付けてしまっていた。
従兄弟であることを説明した、下の二人には
このような感情は起こらなかった、
多分八歳が分別の年齢かも知れない。
卓司が青年になって、あの出来事を思い出す
のだった
丁度その年に、ある見知らぬ男が車で訪ねて
きた、服装からして生活にゆとりのある事が
わかった
安田叔父は始め物売りだと思っていた、
話の内容からして叔父家族を知っているようだった、
じつは卓司の亡き母の妹の夫だった。
名前は天野安雄さんでアラサーツバで
フアゼンダを持っていた
二人の娘が居て男の子が無く。卓司を養子に
引き受けたいと訪ねて来たのだった。
天野叔父は自分の娘に牧場運営はむかないので
男の子が欲しかった。
卓司にとっては天野さんも同じ叔父さんだった、
 その夜は泊まりで叔父二人が夜遅くまで
語り合った、父母を亡くしてあとは親戚との
付き合いも途絶えて
卓司の母の家族が何処へ移転したのか卓司の
叔父は知らなかった。
育ての父である叔父にとっては卓司の将来は
ファゼンデイに託した方が良いと考えた。
然し叔母は自分は三人区別なく自分の子供同様に
育てたので手放す訳にはいかないと言った
叔父は家内にお前の気持ちは解る、でも将来こんな
ちっぽげな土地を二人に分けて与えても食っていけない
ない。ずれ俺達もこの土地を売ってサンパウロ近郊に
移ろうかと思っていると話は続いた、
話は卓司の将来を考えての結論にいたった、
やっと叔母も納得した、弟妹は兄さんが出ていくのは
嫌だと言った
翌日卓司は天野叔父に引き取られてアラサツバへと
向かった
パラガスーから夕方になって。アラサツーバの
街が現れて、街の通りをぬけるとき
卓司はやっぱり大きな街に思えた尚街から
十二キロほどの所に、ファゼンダエスペランサの
入り口にたどりついた。
卓司が七歳の時。叔父と一緒にカンピ―ナスの
大都市に汽車でバウルーから旅行したことが
あった。叔父の目の手術のためだった。
その思いではいまでも思い出すと感傷に浸り。
広いブラジルを知りたい思いを抱いていた。
卓司がミーナスの獣医大学を卒業した時に
安雄叔父と叔母に感謝をこめてありがとうと言った
これも自分の父でない事へのこだわりだった、
もし自分を育てたもう一人の叔父の所にいたら今頃野菜
つくりに明け暮れていただろう。それでも赤子の時、
最も苦労して育てて、報われずに手放した叔父家族に
恩返しをせねばと思った、今の叔父家族に引き取られて
からいつもパラガスーの叔父家族が思い出されて
ならなかった、
そのごの便りではシチオは売ってイタケーラに
移ったことが手紙で知った。大学卒業の招待状も
出したけど何の返事もなかった。
多分もう他人だと思っているようにも感じられた
妹からはおめでとうと簡単な返事が来た」
大学卒業して自分を振り返って過去の事が思い出
された
ボアエスぺランサ農場は国道から牧場に入る道は
両側に大きいヤシの木が植えてあり、
三キロ位行った所に大きな邸宅が聳えていた
正門はプリマべラがはびこり真赤な花を咲かせて
いた。玄関を入って。広い応接間があり
皮でこしらえたソファがおかれていた。
壁には安雄叔父さんの両親の写真とオス牛の巨体
に優勝のリボンを掛けた写真が掛けられていた
のちにその経緯を三年後に叔父と二人で馬に
またがい、牧場を見回す時に話してくれた。
叔父は牧畜の知識が広く、卓司につぎのように
説明した、牧畜を発展させるには一に品種。
二番目が牧草だといった。
そのためにはオス牛はお金をかけても良い種牛が
必要だ。サーラに飾ってある写真はプレジデンテの
品評会で優勝したカンピオンだ
多くの預金をはたいて手にいれたと語られた。
それでも次の二世牛も高い値段で取引去れて
元は取れた、
牧畜は衛生管理が必要でお前が幸いに。獣医学を
目指したのは良かったといったのを覚えている、
幼い時に不幸にも父母を失い、叔父たちによって
自分が大学卒業までこぎつけたのは。
なぜか幼い頃の不幸が神のおぼしめしで償な
われる形になったと思うようになった。就
職するまでは牧場の管理に勤めた。
川近くの草が伸びた所にはよくハブの巣があった。
注意深く覗いてジャララカを生け捕るのも牧畜業者
の仕事で。たまに噛まれて牛が犠牲になることが
あった。捕獲するとブタンタンへ送り感謝状が
贈られて、同施設の見学案内状が
送られてきたので行くことにした。
ブタンタンの施設は大きくあらゆる毒を持った
動物がいて血清液をつくっていた
つでに。イタケーラの安田叔父の所に寄る事にした
シチオは桃の畑を進んでいくとレンガ家が現れて
家族が待っていた。案外容易く見つかった。
まず叔母が抱き着いて涙をながして立派な青年になった
と褒め称えた。弟と妹もはにかみながらもだきついた
先ず叔父さんが養子に行って良かったねといった。
でも卓司は今でも安田叔父の心が判りかねていた。
或いは三人の子の将来の面倒が思いやられて養子に
出したのではないかと疑う事があった。
それとも真実に育てた甥がわが子のよう
に可愛くて養子に出したのか疑問をいだいていた。
然し卓司はどちらでもよい、僕にとっては感謝に
絶えなかった、
何とか叔父さんに報いたいと思った。今でも自分の
父母の様に心に抱いていると言った。
叔父さんも此処に移って良かったと
言った。卓司は自分の気持ちを打ち明けた。
その日は泊まって今までの過ぎし日を話し合った
天野叔父さんの男の子が欲しかった訳を安田叔父に
語った、
ファゼンデイは同じ同僚と交際するので日本人家
との交際は少なく。二人の娘もブラジル人との友達が多
かった
婿になる男性もブラジル人を迎えるのは確実だと
叔父は言った。別に避けるわけではないけど、
多くの農場主が亡くなると遺産相続でもめて
ファゼンダを分割することがよくあった
分割を避けて卓司に経営を任せたいとの遺言状も書いて
在る事を伝えたのも安田叔父に話した
卓司は寝てからも二人の叔父が同じ移民で無資本から
出発したのに、資産に於いては各も差があるのは
なんだろうか、考えてみた
唯、卓司が思うに安田叔父は日系人の植民地にいて
日本人の環境で生活して、日本の延長の暮らしに
浸って居た
日本の新聞や雑誌を取り日本事情には詳しかった。
ブジルへの役所や手続きには事情に詳しい人に
頼まねばならなかったので進歩的同化が起こらな
かった。
天野叔父はブラジル人に同化してブラジルの新聞を
読み。社会事情にくわしかった
始めに百アルケールの牧場を借地してアメンドイン
を植えてお金が大分残った。
すぐに五十アルケールの土地を買い求めて。
大豆とアメンドインを植えた。
借地農の半分を相続人から譲り受けて。牧場にした
肥料が残って居て牧草は見事に伸びて。放牧したの
牧畜経営の始まりだった。日本人では始めてだった。
いまでも五年毎に牧畜を大豆とその後ミ‐リオ牧草と
牧畜の関連作は掟になっている。安田叔父も桃畑
に蜂蜜を飼い花粉の受精を助けて居ることを話し
合った
卓司はブラジルの牧畜は面積当たりの牛肉の
生産量はヨーッパと比較してまだ低い、条件と
してブラジルは年中牧草があり生産が上がらない
のは品種と牧草の管理にあると考えて、実行に
移したい計画を叔父さんに打ち明けた、大豆の
収穫後にミ―リヨ蒔いて
サイロに詰め込み、冬のセッカ時期に飼料と
シレージを与えて肥育期間を早めて出荷して、
一年でも早めれば五年には20パ―センとの
増収が見込まれる、その話に叔父は乗り気だった。
尚品種も短期成育を取り入れて、生産の成績を
数字で表し、新品種のオス牛の人工授精の会社を
設立するなど話した。
また新しい牧草のたねを生産して販売する会社も
設立したい旨も説明した、
叔父は乗り気で資本を援助して州の畜産部
エステ支部に働きかける事を約束した
ブラジルが世界特にアジヤと中近東でオースト
ラリヤとアルゼンチンなどに市場は奪われていて。
食い込むには肉質の向上が必要だと。以上の論文を
ポルトガル語の農業誌に乗せたその反響は大きく。
多くのファゼンデイㇿが融資を表明した。
卓司を養子に迎えるにあたって叔母の紀子は反対だ
った。腹を痛めてない子を本当に愛することが
出来るか疑問だった。娘とのいざこざが起こり、
母を恨むことになりはしないか疑問だった。
卓司を養子として迎える話を打ち明けた時に、
二人の娘は可愛そうに父母を亡くして同情して
私達は兄弟が欲しいのといった。卓司を引き取って
観て彼が人間的によくできた明るい少年である事を
頼もしく思った
卓司は自分が八歳にして受けた衝撃が人を見る目を
いやが上にも植え付けられて、子供心で甘えた気持ちは
持たなかったのが叔父達にも頼もしく思えたようだ.
はっきり言えば大人勝りにも受取れた。
二人の姉はよく自家用車で卓司を伴って街へ出かけた。
街の若者は美人の姉妹を知っていて兄弟がいる事は
知らなかったと話していた、ある青年は僕の妹を
紹介するよと言ったが
姉妹は受け付けなかった。ノエステの畜産協会の役員
に抜擢されて始めにアルゼンチンの畜産の視察に
選ばれていくことになった
ついでにオーストラリヤにも視察に行く事を計画して
資料を集めて居た。尚、両国の畜産の本も買い求めた。
協会と伯父が旅費や小遣いを工面することになっていた
突然事件が起きた、一番上の姉が隣のファゼンダの息子
と駆け落ちしてイタリヤへ旅行にいってしまった、
その大農場は父の亡き後分割していつも兄弟争いが
絶えず、裁判にまで争うので。未亡人のㇸレナは
安雄さん貴方は日本人で礼儀正しく私は信用しています、
私の夫アントニヲが苦労して築きあげた農場が
息子達の争いになって私はとても悲しい。
小農場だったら分割することなく二人とも共同で
経営したろうに悲しい、なんとか仲裁して
くれないか頼みに来たことがあった。
安藤叔父が話したのはそのことだった、卓司は姉
の美代子からもその話をきいていて、ㇸレナの孫に
あたる姉の恋人はうんざりして農場は継がずに
独立して仕事をすると言っていた。姉は彼が
云うには土地が無く,其の為に戦っているセンテラ
もあれば。折角父から受け継いだ大農場なのに
そのために兄弟が争うことは息子には絶えがたい
事だった、その男が好きになったようだ。
卓司は叔父さんにそのことを告げた。安藤叔父は
それは良い事だ財産を見て結婚するのでなければ
喜んで応援しようと語った
旅行から帰ったら結婚式を挙げようと叔父は計画
していた
何故か卓司の夢である牧草販売会社や牛の
人口受精会社もクンヤードのアントニヲと
二人で幸いに出来るかも知れないと叔父の夢は

膨らんだ。終り