2012年10月27日土曜日

我が人生

自分がどのような人間であるか考えてみた。他人の事は良く目に着き。徹底して分析するけど自分を分析するのは難しい
医者の診察のように体は観察できても僕の性格や心理状態を分析するのは出来そうにない。まず自分で分析して妥当な点があるようにも思われる
自分でも運の良い人間だと思っている、まず農業用地が地形良く、霜や災害にあった事がない。失敗もあったけど作物が良く取れた。
値段も割合に良い値段で売っている。また良き妻に巡り合えた事も運がよいと言えそうだ、女性から好かれることは自分なりに良い点が無ければならないと思っている。良い点とはまず知識がある事。思量深いこと。思いやりのある事など、
知識は努力して得られるので、知りたい意欲が旺盛であったと思う。常にあらゆる本を読んでいた。自分でもせっかちな性格だと思っている、早く仕事を終わらせて、また次に挑む状態が今でもある。何もせずにいる時間が勿体なく思われる。また働かずに食べる事は人に養われているとの原理
が根づいている、また食糧は自分で生産するのが当たり前だとも思っている。原始の時代には皆農作物は自分で生産した、役人が生まれて食料が商人の手をえて役人に渡り、硬貨が流通の役目を果たした。時の過ぎるのを待つのは無駄に過ごしたと思われてならない、
例えばコップを取るにも手を棚に向けると、目は早や水のある場所に向いている,字を書く時に頭に描く字が手は別の字を書き始めて気が付くことがある。次のようなエピソードが残って居る。隣の家に大きな綱を借りに行った時、帰りに野菜を頂いた。綱をおいて野菜お受け取り帰りを急いだ
途中で大事な綱を忘れた事を思い出し、野菜をコーヒ―の下において綱を持ち帰った。仕事も終えて、戴いた野菜はとっくに忘れていた。
ある時コーヒーの草取りにその野菜に出会った、多分一か月も過ぎていたようだ、忘れていた事が思い出された。穀物も先を読み売ることがあり
損することがある、いつもシカゴの穀物先取引を読んでいるけど当たる率は少ない、
妻が二世であった事も運があった事と思う、妻との会話の理解を深めるためにポルトガル語に熱中した事が。同じ移民の中でも言葉が理解できると思っている、妻との会話はすべてポルトガル語で子供の教育にも妻は役立っている、ちなみに九人の子が国立大学に入学出来た。ただし子供の日本語は不自由を感じているようだ、外国語を覚える感覚は娘にも遺伝したようで自分で勉強した英語が北米旅行に役立っている。また沖縄の言葉も覚えようと努力しているのは微笑ましい。今でも理解できないポルトガル語は辞典を開いて頭に詰め込むことがある。私のメールの友の南さんも
ポルトガル語が詳しいようですけど、やはり妻が二世の故でしょう。小さい時から何かに熱中すると本来の役目を忘れてしまう事が良くあった。
海で泳ぐのに夢中になり新しい学生服が波にさらわれたり、郵便局に使いに行って相撲に夢中になり、お金を無くしたり思い出せば幾らでもある。
それでも運よく今日まで生きてきた。人生は不思議なのです。

2012年9月29日土曜日


モラルの相違
今日行われている高等裁判、題して「メンサㇿン」についてブラジル政治家が行ってきた、汚職に釘を刺した観がある。
議会での議員の免職処分は何度か在ったけど、裁判に及んだことは無かった、今度の事件は七年前に起こって、前大統領を巻き込んだ
大がかりな資金が政府銀行から選挙運動資金に流れて宣伝会社の手をえて与党議員に渡された経緯をある議員が調査段階で告白して
国民にショックを与えた事件の裁判が行われている。三十六名の被告の裁判が二週間前から始まって。全国会議長を務めた議員を始め一人の被告「日系人」だけが無罪を受けて、残りは有罪が言い渡されている(RELATOR)簿記官BARBOSA NETOは前大統領によって任命された判事で、しかも黒人から始めての判事であり、ル‐ラ大統領は人種差別を亡くし国民平等のチャンスを与えたと自負していた。日本人のモラルでは大統領はバルボザ判事の恩人であり、決して背くことの出来ない存在なのです、しかし判事は任命された時点で国民の為、また国の為に自分の判断を行って、恩人の事など一切考量せずに判決を下した、そして前大統領が拝領を下した責任をも追及している。と簿記している。REVISOR[校正官」は全体において一致したものの各個人の判決には異なった意見もあり、二人は論戦を繰り広げている。我々日本人のモラルでは出来そうにない、国民性を見ることが出来た。特に官房長官を務めた{DIRCEU}は有罪の判決を受けており、自分が命令を下したと言えばル-ラ前大統領の名前は現れずに済んだけど、彼自身も火の粉を払うのに一生懸命で他人をカバっておれないように思われる。この裁判はP T党にとって痛手のようだ、国民の税金が選挙に流れたお金で多くの市民の健康を看ることが出来たはずだ。ブラジルは世界でも汚職の多い国と言われている

2012年9月22日土曜日

    ロスへの旅


長年計画していたロスへの旅が実現した。八日間の日程を組んでアメリカの生活を見ることが出来た
最大の目的は僕と同じ運命を辿った従兄弟の真勇の武勇伝を目で確かめたい気持ちも、働いていた。僕と真勇は似たような人生を辿っている」そもそも
母どうしは従妹で僕の母が若い頃大阪で大変お世話になっていて、戦後北米と南米に移住したのです。生活が安定してくるとお互い会いたい気持ちがわき出て
僕の母が訪問することが出来た。母の土産話でアメリカの生活を伝えてくれた。その後お二人は他界なされて時が過ぎ。二人の間に交わした手紙が四通現れた
僕は読んでみて二人が姉妹のような感じがした。その事の内容を手紙で真勇に告げた、二代目の文通が始まり、メール交換と繋がった。僕の書いた結婚五十年「
戦後移住者の半世紀」を送った後、真勇の歩んだ道がロス発行の日本語月刊誌に載っているのが送られてきた。彼が日本で中学生の時ハワイに移住して働きながら
大学をロスの航空大学を卒業して長年航空会社の整備技師に就任した、忍耐と努力により航空事故原因調査官にまで上り、米国より貢献賞状とメダルが贈られている
日系人の数少ない功労者の一人なのである。僕はかような仁徳ある人と、じかに話し合えるのを願っての旅でもあった。彼は精神的に心の奥深く日本人の良さを
持ちアメリカ人のセンスを身に着けた、国際人の観がした。旅行中も育った沖縄とアメリカの生活を比較して移住した有りがたさを語ってくれた、僕も同感を得た
ロスは雨の少ない半乾燥地帯でそれでも水は豊富にあり自動的に放水するように道路脇は整備されていて、四つ角には何処でも火災用の配管がある。
道路はアスファルトが完全に保たれていて、住宅地帯でも一周に一回は掃除車が洗ってくれる。亦ゴミも一周に一ど回収するので大きなゴミ箱が三つ置かれて分け
ているようです、道路脇の草取りも市がしているので一体どれだけの税金を払うのか知りたかった。ブラジルの高級住宅街を思わせる静かな街です
ラスーヴエガス
観光の日程はすべて真勇に任せていた。翌日はロスの市内見物と買い物で過ごした、勿論ブラジルに比べて安い品物がたくさんある。商店はみなクーラが入って
涼しい、またお客さんも混雑しておらず、職員も少ない。飲食店にはメキシコ人が多く働いている、今日は早く休んで、翌日四時にラスーヴエガに出発の予定
で早く休む。その理由は高速道路が七時頃には一杯になる,郊外からの通勤が皆自家用車なのでバスは殆ど見当たらない。道路はほとんど四車線で一線は二人乗り
に優遇で速度を速めることになっている、夜が明ける頃には郊外に出ていた、八時頃には照りつける太陽熱で空気が乾燥してクーラ―無くしては耐えられない
見渡す限り、低灌木と草で砂漠と趣が異なる。しかし草はあっても動物はみあたらない。点々として小さな家があるけど人間が住んでいるか判断しかねる、五
時間の旅で小さい街が三か所にあった位で、州境でまた休み九時ごろラズ―ヴエガスに着いた。中心部には高層ビルが立ち並び殆どがホテルのようだ。その下が
賭け事と飲み場で世界から集まった観光客で賑わっている。僕が知る街の由来は周辺に生産物があり、働く労働者で商店ができ銀行や病院が出来て街の活動が
整えて市制が生まれる。然しラズ―ヴエがどのように出来たのか調べて、日本人とアメリカ人の発想の違いを感じた、日本人は大人の娯楽にあれだけの資本を投じ
るのはまず社会が許さない。アメリカは働て楽しむ国民性が生み出した街で、東西鉄道が通過する場所で賭博で人が集まり、マフィヤで権力争いストリップ
とバ-が物騒で、ある金持ちが全部買収して以後安定して1950年ごろには世界に知れた街となって、なお繁栄をたどっている。高い建物の広場は昼でも人工的
に夜の光景を思わせ。お客は賭け事に熱中している。街の標高は620メートルで人口は百九十万人で1955年の資産価格が30億ドルとなっている。
デズネイ-ランド
この街は広く知られているマンガ家の発想で家族で楽しめる場所で、世界の観光場所となっている。一日では見ることが出来ないほどの施設がありどの場所もお客
で一杯だ。ホテルの施設もあり家族ずれであふれている。子供を夢の世界に誘い忘れぬ思い出になることでしょう。
ホリウツド
アメリカ映画産業で栄えた場所で繁華外が観光客でにぎわっている、相手のホテルやお土産店で栄えている。有名な俳優の足跡と名前が刻まれた道路をみることができる、三つの観光都市がカリホルニヤ州の財源になり、近代出はソフト産業ガ州一体に存在して莫大の利益を上げている、米国でも最も裕福な国民を代表しているのを感じた。真一

2012年8月25日土曜日

方言


何処の国にも方言は存在する。なかでも沖縄は方言が豊富な島だ。村を隔てても言葉が違う。私の住んでいた惣慶村も特殊な言葉を使っていたので県人に知れていた。沖縄の方言は元々琉球王朝時代に使われた言葉で大和言葉も取り入れているのが交流があったとしか
思われない。UNESCOにも言葉として登録されているようです。 沖縄方言にも標準語があり。沖縄芝居で語られる言葉を持って標準語として県人は認めていた。戦前学校で沖縄語を使う事は禁じられていた。老人もなんとか日本語で親子が話せるようになってきた。識者は沖縄言葉が無くなるではと心配した。戦後はテレビの普及で若い沖縄人も本土と変わらぬアクセントで日本語を使っている。沖縄言葉には日本の自然を描写した俳句や万葉集に出る言葉は見当たらない。それは当然で沖縄には四季の変化がない、山や森の木は年中青青としている。海にも変化は起こらないので自然を読む描写の方言が見当たらない。それでも人間の感情を表す。言葉はたくさんある。その云われは島が貧しくお互いに助け合って生きねば成らぬゆえでしょう。特に自己的な人は人間でないような表現の言葉が沢山ある、中でも、感情を表す言葉に体の部分を使うのを最良の表現とした。その中で日本は腹で表現した言葉.例えば。腹ぐろいや、腹が立つ。腹が収まらないなど。沖縄の言葉には肝と心一体にした言葉が多い、チムグクル(肝と心)。チムヤンジ{胸痛む}。チムビルサン{心ひろい}など数えただけでも20以上の感動詞がある。代表的な言葉がイチャリバ.チョウデ{会えば兄弟}は沖縄人を表現した最高の言葉のような感じがする。亦処によって言葉が違う、例えば北部ではカサギラス{背負わす}の意味が南部では妊娠させるという。北部の女性が商品を背負って日陰に休んでいた。あいにく南部の青年が通りかかり{エーニ―セカサギラチトラセー}南部の青年は性交渉を意味すると感じた。伝え話がある。ブラジルに移住した沖縄人は二世が誕生して使われた会話は沖縄語とポルトガル語で多くの沖縄二世が沖縄語を理解できる、。沖縄本土でなくなった沖縄語も残って居る。その例がチキジ「マッチ」の事亦布団のことを「ウ‐ド」の言葉は沖縄でとっくに消えたのが残って居た2012年八月二十五日 真一。

2012年8月12日日曜日

随筆 二つの国を考える

現在置かれている日本社会とブラジル社会を想い浮かぶままに記して置きたいので何時か参考になるかも知れないのです。日本の事は直接私の生活に関係するのではないけど、
祖国なので自分の後ろ盾として健全であってほしいと願うのです。
現在の日本は八方塞がりの観がする。70年代世界一を誇った生産力が停滞して生産コスト世界一で安くて輸出を誇った時代もあった。現在はコスト高で他国に押されている。ただ質の面だけは外国も認めている。
重要な問題も国民は意見が分かれて政治家は決断を下しかねている、原子力発電にしろ、消費税引き上げにしても意見が分かれて政治が混沌としている。過去を顧みて軍国主義が実検を握る前のように国民は民主主義が世論に押された時代があって、思想家や哲学者が議論を交わして、生命が脅かされた時代があった。現在は思想家や哲学者は見当たらない。国会議員がもっと国会で日本の進むべき道を議論いて欲しい、現在の議員は次の選挙に生き残れることだけを考えているようだ、現在日本が抱えているいろいろの問題も戦後アメリカの自由主義を主体とした生活が日本国民は啓蒙して取り入れてきた。日本人の伝統的習慣は若い者に取り入れられず、老人たちは親子とも暮らすことが出来ず、尚アメリカ式の夫婦でも愛がさめたら離婚することまで取り入れているのです。今一度日本人が受け継がれたものの考え方を取り入れたいように思われる

次はブラジル国
ブラジル国は私の住んでいる国で色々の政治が直接私の生活に結びつくので関心は高い。私の子孫の将来もあるので良い国家になって欲しいと願うのです「。勿論生活しては遥かに日本よりは良い。治安は日本のようにはいかないけど。地方に住めば別に危険に会うことはない。日本の災害に比べれば暮らし易い。ある程度の老年金を受け取る人なら健康保険に加入もできて医者や検査を受ける事が出来るから健康は安心して暮らせるのです
日本と比較して交通機関が発達しておらず,殆どが道路にたよっていて物資の運送に経費がかかるからです。1500キロの農作物を港まで運ぶのに港から日本の方が安いとのこと亦工業用の電気料金が韓国の五倍もする。港の整備も遅れてコンテナでトンあたり韓国の五倍の料金になるようです。これでは輸出するのに太刀打ちできない。自動車生産でも鉄鉱石をブラジルから輸入して造った鉄板が輸入しても国内品より安くつく状態でコスト高。インフラ設備が整わず生産者が背負うことになる、このような状態も政治家は国会で議論することなく。目の前の問題と政治家同士の駆け引きに明け暮れているのです。ブラジルも国民が議論して報道機関が関与して欲しいのです、勿論思想家や社会学者も見当たらないのは悲しい想いがするのです。
2012年8月5日  国吉真一

2012年7月22日日曜日

現代社会と国民総幸福

国民総幸福亦は.G。N.Hとも言われて国家の目標に掲げた国がNHKのドクメンタリオで紹介されたのを見て。私達の住む現代国家と比較して考えることが多かった。あまり知られていない小さい国でインドと中国との国境にあり地形が山岳地帯で80パーセントが同一民族で殆どの国民が農業で、しかも自家消費が主で消費市場も少なく国家の経費は45\セントが国連の援助により予算の55パーセントが国民の税金でまかなわれている。王国で四代目の継承で。国の面積は多分九州の大きさで議員が約20名で首相は任命のようです、ブㇿ‐グの説明で知れたような国で東北震災を見舞われてやっと知れたような国です。ただ現代社会とは100年の隔たりがあるようで電気は勿論自家用車や自転車すらないようです。それでも国民は幸福だと言われるので、その理由が食料は事足りて、健康は国が無料で、病人を診察する、また病院もただ。国民の負担は殆どない、国民の払う能力もゼロに等しいので当然です。農家の生活はアバラ屋で電気道具もなく道は歩道だけで、山岳地帯に学校があり給食もご飯と野菜だけ。生徒は各自お皿を持ってくる。それでも80パーセントの児童が学んでいる。これも国の国民の幸福を目票として教育と健康を掲げているからです。農家の父母は自分は無学でせめて子供には教育を受けさせたい願いが。国家戦略に合致していて。衛生の教育も欠かさない事も幸福に繋がっているようです。国民は昔から助け合って生活していて、格差がない。現代社会の人騙しや泥棒もなく。殺人も起こりようがなく。警察あってないようなもの裁判所もなく。弁護士もいらない国民なので生活が質素です。この国の宗教はダライラマ教と同派で統一されて学校でもお祈と瞑想の時間がある。道路は歩道で自動車の通る道は田舎にはない、山岳地帯で雨が多く干ばつの被害はないようだ。生活は簡単で服装も単一国内品で女性の化粧品もない現代社会のファションのモデルや化粧品会社も生まれない、また髪も自然のままなので、今日の社会が生み出した、いろいろの職業が生れない。若い人が農村から出ても街に働き場所がないので農村に留まるのです。この国と私達の近代社会と比較して殺人や交通事故や麻薬業者や麻薬常用者も生まれない。また餓死する人もいないのです。私達の住む社会が複雑なので、有る点では安心して住めるような社会でないことは確実です。その点幸福とも云えないようです。

2012年6月30日土曜日

随筆農業一筋に

私はブラジル移住して以来、農業一筋に生きてきた
古い移民には農業一筋で一生終えた人が殆どです、
故郷に錦を飾って帰る望みも果たせなかったのが多い、しかし戦後移住者は殆どが再渡航している。勿論私も何回もしている
錦を飾るほどではなくても、出稼ぎを兼ねての訪問も多い、自分の子孫をブラジルに根を下ろしているので
日本に永住する訳にもいかない、
また長年のブラジル滞在に日本での暮らしも
馴染めなくブラジルに永住を決めるのが多い
その様な環境で私はブラジルに誰よりも移住が適しているように思われる、先ず農業一筋に今日までやって来た
あるいは体と頭が動けるまでやるかも知れない。
まず農業始めたのは着いて一週間後から
エンシャーダを持ち始めた。出会ったのはコーヒー^
園で現在でも栽培している。色々な体験をしている
始めに出会ったのが霜で、パラナ全土に及び二年目のコーヒーが全部焼けた。その間作にトウモロコシと豆を植えて収入を得て、コーヒーを育てた二年目から初めて少しの収穫がでた。その後もパラナの新開地に
コーヒーが植え付けられて
生産過剰になった。政府が買い上げて焼いたこともあった、それでも生産過剰して政府がお金をだして引き抜いた、その後また霜が降りてパラナ全体が全滅状態になり自然と引き抜いて綿作に変わった。殆どのコーヒー農家が大豆や綿作に変わった。それでも私はコーヒーを栽培した。まず土地が標高高く少しの霜は免れていたからです。次の収穫は良い値段で取引された。
一時四人目の子が生まれた時。子供の教育を考えて。街の仕事をしようと思った事があった。丁度その頃日本ではスーパーが流行っていたけど、ブラジルの田舎街にはなかった土地を売っての転換ですから愛着で勇気がなかった。お客相手の仕事は苦手だった、競争相手のお客を取らねばならないからです、農業は隣の相手も同志と組めて発展できるのです。でも自然を相手にまた土地を相手にするのは好きだった、真剣に取リ組めば必ず収穫が得られるのです。古い伝統と新しい技術の組み合わせで市場を読んで栽培すれば必ず利益が得られるのです。機械を取り入れて、労働力を減らし有機物保存と表土流出を防いで作物が土壌から吸い上げた三要素はそれ以上に補う事に勤めれば土地は何時迄も栽培できるのです、日本の土地は何百年も作物が栽培されている、また労働法もきびしくなった
以前使用人はある程度の土地使用を与えて安く賃金を払っていた、現在は労働手帳に登録して最低賃金以上を払って運営している、街の労働者同様休暇も与えて尚失業手当のフンドも積み立てるので最低給料が倍になるのです、それでも農業は日本と比べて遣り甲斐があるのです使用人を使って利益がでるからです。1、農業は自由です、自分が主で誰も命令しない。亦、結果も責任は自分で持たねばならない時代の変化は予測できずにいる。それでも食糧不足と消費が拡大して不足がちです。自分で選んだ道ですけど農業一筋にやって良かったと思うのです.若しあの時街の仕事を選んだなら子供を大学までやれなかったでしょう。街の商売は家族の人でが必要だからです。